ペテロへの3度の問い掛け

新聖歌20番 主の真実はくしきかな

 

子どもへのお話

タイトル:復活されたイエス

ヨハネの福音書21章12節

イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。

 

 イエスが復活し、弟子たちと再会された出来事が記されています。

手や脇にある傷跡を除けば、復活したイエスの外見は以前と異なるようです。しかし、幾度となくの再会を経て、弟子たちは徐々にその真実を理解し、彼がイエスであることを認識しました。

 今回言及されているのは、彼らがエルサレムを離れ、ガリラヤ湖、もしくはティベリアス湖とも呼ばれる湖畔のガリラヤのカナに戻ってきたシーンです。そこで彼らはイエスに再び出会います。

 ペテロは気晴らしのためか、心の整理がつかない状態で、久しぶりに漁に出かけました。ご存知のように、夜は通常魚が捕れません。漁師のプロであればそのことは承知しているはずです。しかし、早朝にイエスが姿を現わし、ペテロたちと最初に出会われた瞬間を彼らに思い起こさせました。

 

 今日取り上げる箇所では、「さあ、朝の食事をしなさい」とイエスが言われます。復活された後も人間の生活を理解しておられる方だと感じますね。これは「人の子」と呼ばれる所以に他なりません。

異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、

鞭打ったうえで殺す。

そして、人の子は三日の後に復活する。

マルコによる福音書 10:34 新共同訳

 

復活後のイエスは弟子たちを励まし、彼らの心と向き合っています。そのため、私たちもイエスがどのような方であるかを知っておくことが望ましいです。

つまり、イエスは肉体的なこと、精神的なこと、日常生活に関することをご存じの方だということです。

私たちは、そのようなイエスを信じているのです。

 

 

4月28日(日) 礼拝奉仕

説教題:ペテロへの三度の問い(掛け)

ヨハネの福音書21章15節~19節

17節 ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。

 

15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」

16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

18 まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」

19 イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」

 

 共同訳聖書では「イエスとペテロ」と言うタイトルがついています。それで私はイエスからの一方的な問い掛けに「ペテロへの三度の問い」とタイトルをつけました。

復活されたイエスは、ペテロの事を気に掛けます。食事を終えた直後なのか、あるいは他の弟子たちが気に掛けない距離間で2人が向き合った状態での話し合いなのかは不明です。

そこでいきなり質問をされます。

「ヨハネの子シモン。

あなたは、この人たちが愛する以上に、

わたしを愛していますか。」

ペテロは答えた。

「この人たち」と話をされている事から、他の人たちが身近にいる中でと、捉えた方が良いのかも知れません。

 

「わたしを愛していますか。」アガパオ(ギ)と聞かれます。

アガパオとはアガペーの動詞語です。無条件の愛や犠牲的な愛を指します。あるいは「大事に、大切に」しますか?と問われている場面です。

「はい、主よ。

私があなたを愛していることは、

あなたがご存じです。」

ペテロは、以前の経験があるので自信を無くしている状況です。以前とは次の御言です。

するとペトロが、

「たとえ、みんながつまずいても、

わたしはつまずきません」と言った。 

マルコの福音書14章29節

ペトロは力を込めて言い張った。

「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、

あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」

皆の者も同じように言った。

マルコによる福音書 14:31

 

 ペテロにとって忘れる事ができない出来事でした。恐れが生じた事、自分の命を守る判断がイエスを思う愛よりも増した。それで自信がなくなります。ですが、冷静な判断とも言えます。

ここでの返答は、フィレオー(ギ) 友情など人格的な愛、絆や信頼 と答える。

 

イエスのご返答は次の言葉となります。

イエスは彼に言われた。

「わたしの子羊を飼いなさい。」

イエスの応答は意外な言葉でした。

ペテロには到底理解できない言葉でした。「わたしの子羊を飼いなさい。」とは、具体的に理解できている訳では無いように思います。

 

正直に気持ちを答えるペテロ

 

 ペトロと同じように、私たちの「愛」もまた完全ではありません。愛について尋ねられると、「はい」か「いいえ」よりも、「頑張ってはいます。」「気持ちはないことはないですが・・・」とうやむやにしてしまします。

 

 はっきりと答えることが出来ないペトロにイエス様は3回目も同じ問いをされます。イエス様の3度の問いの内、1回目と2回目に使われている「愛」は「アガパオ」という「アガペー」に由来する言葉です。神から出る限りのない愛、深い慈愛を意味します。

しかし、3度目の「愛しているか」に使われている「愛」は、「フィリア」という言葉です。「フィリア」は人間的な友愛を意味します。人の愛、それは欠けがあって完全にはなりきれない愛。神様の愛「アガペー」のように完全で揺るぎないものではない。

けれど、

そんな人間的な愛でもいい、その愛で「私を愛しているか」と主イエスは問われるのです。

 これはイエス様がペトロや人間たちに、あきらめを表したという訳ではありません。主イエスは「私の羊の世話をしなさい、私の羊を飼いなさい」と言われ、またペトロがどのように死を迎えるかも教えます。

 

 これはペトロが主イエスの良い知らせを伝えることを委ねられたということであり、その生涯の最期までキリストに繋がれた人として生きていくという約束でもあると思うのです。「私を否定したあなたなど知らない、もう弟子ではない」とは言われないのです。あなたの愛が限りのある人の愛であると分かっている。それでも私に繋がっていなさい。と手を差し出されるのです。

 

 

イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。 『わたしは羊飼いを打つ。 すると、羊は散ってしまう』 と書いてあるからだ。 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。

    マルコによる福音書 14:27-31 新共同訳

 

 

補足

アガペー(ギ) 神の愛、無償の愛、犠牲的な愛

フィレオー(ギ) 友人など人格的な愛、絆や信頼

ストルゲー(ギ) 親子の愛や家族や兄弟等の家族愛

エロス(ギ) 恋愛や男女間の愛情、肉欲愛