イエスの名によっていのちを得るためである。

復活祭が終わり、次はペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えるまでの弟子たちの動きを見ることになります。

今回はトマスに起きた出来事からお話をします。

 イエスの名によっていのちを得るためである。

ヨハネの福音書20章全体

A.園の墓にて

 

1.さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。

2.それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」

3.そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。

4.二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。

5.そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。

6.彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。

7.イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。

8.そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。

9.彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。

ヨハネの福音書 2019

 

「週の初めの日」について、ユダヤ教の伝統では、創世記における「創造の初日」が現在の暦で言うところの日曜日にあたります。創世記1章には、神が世界を六日間で創造し、七日目に安息されたと記されています。この記述に基づき、ユダヤ教の暦では週の初めが日曜日とされ、安息日(シャバット)が週の最後の日、つまり土曜日にあたります。

しかし、この理解は暦の解釈によるもので、創世記のテキスト自体には現代の曜日名は直接記されていません。創世記では、「一日目」「二日目」...と日が数えられており、これをユダヤ教やキリスト教の伝統的な解釈では日曜日から始まる週の周期として解釈しています。これにより、「創造の初日」は現代のカレンダーで言う日曜日に相当するとされています。

 

1. 週の初めの朝早く、マグダラのマリアが墓に行き、墓から石が取り除かれていることに気づく。

2. マリアはシモン・ペトロともう一人のイエスが愛していた弟子に、イエスの体が墓から取り除かれたことを伝える。

3. ペトロともう一人の弟子は墓に向かい、弟子の方がペトロよりも速く走って先に到着する。

4. 先に到着した弟子は墓の中を覗くと、亜麻布が置いてあるのを見るが、中には入らない。

5. ペトロが到着し、墓に入って亜麻布を確認する。イエスの頭を包んでいた覆いは別の場所に丸めて置かれている。

6. その後、もう一人の弟子も墓に入り、見て信じる。ただし、二人はまだイエスが死者の中から復活するという聖書の言葉を理解していなかった。

 

 

B.弟子たちの前に現れるイエス

 

11.一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。

12.すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。

13.彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」

14.彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。

15.イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」

16.イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。

17.イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」

18.マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。"

ヨハネの福音書 201118

 

 

1. マリアの泣きながらの墓参り

マリアは墓の外に立ち、泣いていました(11)。

泣きながら墓の中をのぞくと、イエスの遺体が置かれていた場所に白い衣を着た二人の天使が座っているのを見た(11-12)。

2. 天使との対話

天使たちはマリアに泣いている理由を尋ね、マリアは「誰かが私の主を取り去りました」と答えた(12-13)。

3. イエスとの再会

マリアが後ろを振り向くと、イエスが立っているのを見たが、それがイエスだとは分からなかった(14)。

イエスがマリアに話しかけ、「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」と尋ねた。マリアは園の番人だと思い、イエスが運び去った場所を尋ねた(15)。

4. 認識と使命

イエスが「マリア」と名前を呼ぶと、彼女は振り向いて「ラボニ」と答え、「先生」と意味する(16)。

イエスはマリアに触れないよう告げ、「まだ父のもとへ上っていない」と言い、弟子たちに「私の父であり、あなたがたの父であり、私の神であり、あなたがたの神である方のもとに私は上る」と伝えるよう命じた(17)。

5. 弟子たちへの報告

マグダラのマリアは弟子たちのところに行き、「私は主を見ました」と告げ、イエスから言われたことを伝えた(18)。

 

 

C.イエスが弟子たちに語られる

 

19.その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」

20.こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。

21.イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

22.こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

23.あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

24.十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。

25.そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。

26.八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。

27.それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

28.トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」

29.イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

30.イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。

31.これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

ヨハネの福音書 201931

 

 

 

1. イエスの弟子たちへの現れ

週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて鍵をかけていた家の中にいた。そこへイエスが現れ、「あなたがたに平和があるように」と言われた(19)。

イエスは自身の手と脇腹を見せ、弟子たちは主を見て喜んだ(20)。

 

2. 聖霊の授与と使命の伝達

イエスは弟子たちに再び平和を祈り、「父が私を遣わしたように、私もあなたがたを遣わす」と言い、彼らに息を吹きかけて聖霊を受けるよう言われた(21-22)。

そして、誰の罪を赦せば赦され、赦さなければ赦されないまま残ると述べた(23)。

 

3. トマスの疑いと信仰

トマス(ディディモとも呼ばれる)は、イエスが最初に現れた時、弟子たちと一緒にいなかった。他の弟子たちが「私たちは主を見た」と言うと、トマスは釘の跡や脇腹に手を入れないと信じないと答えた(24-25)。

八日後、弟子たちが再び家の中におり、トマスも一緒にいる中、イエスが再び現れ、トマスに自らの傷跡を確認させ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われた(26-27)。

トマスは「私の主、私の神よ」と答え、信仰を表明した(28)。

 

4. 信仰の重要性

イエスはトマスに、「見て信じた者は幸いだが、見ないで信じる人も幸いである」と言われた(29)。

 

5. 目的と結論

イエスは弟子たちの前で多くのしるしを行ったが、それはすべてこの書物には書かれていない。これらのことが書かれたのは、読者がイエスが神の子メシアであると信じ、その名によって命を得るためである(30-31)。

 

この部分は、信仰の確認、聖霊の授与、そして信仰を通じて永遠の命を得ることの重要性を示しています。特に、見ないで信じる信仰の価値を強調しており、キリスト教徒にとって大きな意味を持つエピソードです。

 

要約・・・・

新約聖書のこの部分は、イエス・キリストの復活後の出来事を記述しており、特に弟子たちとの再会と彼らへの教えを中心に展開されます。週の初めの日に、弟子たちはユダヤ人を恐れて家の中に閉じこもっていたところ、イエスが現れて「あなたがたに平和があるように」と平和を祈ります。その後、イエスは自らの手と脇腹の傷を見せ、自分が復活したことを証明し、弟子たちを喜ばせます。また、イエスは彼らに聖霊を授け、神から遣わされたように弟子たちも遣わされること、そして彼らに罪の赦しの権威を与えました。

 

トマスは最初の現れた際には不在で、他の弟子たちからの話を聞いてもイエスの復活を信じませんでした。しかし、イエスが再び現れ、トマスに自らの傷跡を触らせることで信仰を確かなものとし、「見ないで信じる人は幸いである」という教えを残 しました。

 

この記述の目的は、読者がイエスを神の子メシアとして信じ、その名によって命を得るためのものです。イエスの復活、弟子たちへの現れ、聖霊の授与、そして信仰の重要性が強調されています。