バイブルカフェは「慰めの子」です。
聖書箇所:第二コリント1章2節〜7節
テキストは後ほど掲載します。
慰めの子
聖書箇所:コリント人への手紙 第二 1章2節~7節
紹 介
1. 手紙の宛先: コリントという都市のクリスチャン教会(信徒たち)
2. 著者: 使徒パウロ
- パウロは初代キリスト教の伝道者であり、使徒の一人として知られています。
3. 書かれた時代: 紀元56年頃
場所について
この節は「コリントの信徒への第二の手紙」がどこで書かれたかを教えてくれます。「使徒言行録」はマケドニアにある三つの教会について言及しています。それらはフィリピ(口語訳ではピリピ)、テサロニケ、ベレヤです。これらのうちで「コリントの信徒への第二の手紙」が書かれたと思われる場所の最有力候補はフィリピです。7:5
4. 手紙の目的: 信仰や教えに関する指導や慰めを提供する
- コリント教会の信徒たちの信仰や生活に関する問題や疑問に対する回答や助言を含んでいる。
5. 内容:
- 信仰の基礎やキリスト教の実践に関する教え
- 共同体の結束や愛についての教え
- 信徒たちの信仰と生活に関連する問題や悩みに対する慰めと指導
6. 手紙の位置: 新約聖書に含まれる一つの書簡
- 新約聖書はキリスト教の聖典であり、パウロの手紙がその一部として含まれている。
- 1世紀: イエス・キリストの生涯や教えの直接の証人である使徒たちやその他の初代キリスト教徒によって、書かれた手紙や福音書、教訓などが広く伝えられていました。
- 2世紀: これらの初代キリスト教文書は、地域ごとに教会で使われ、信仰の指針とされていました。しかし、新約聖書としての厳密な正典の確定はまだ行われていませんでした。
- 4世紀: ニケーア公会議(325年)やカルケドン公会議(451年)などの重要な教会会議で、正典の範囲や書物の妥当性が議論されました。この時期になると、現在の新約聖書に収められている書物のリストが確立されつつありました。
- 4世紀後半から5世紀: 聖書の正典としてのリストが確定し、パウロ、ヨハネなどの使徒たちの手紙や福音書、その他の文書がキリスト教の正典として認められました。これにより、新約聖書が形成されました。
新改訳聖書 コリント人への手紙 第二 1章2~7節
- 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
- 私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。
- 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
- 私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。
- 私たちが苦しみにあうとすれば、それはあなたがたの慰めと救いのためです。私たちが慰めを受けるとすれば、それもあなたがたの慰めのためです。その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。
- 私たちがあなたがたについて抱いている望みは揺るぎません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めもともにしていることを、私たちは知っているからです。
- 私たちは神と主イエス・キリストから恵みと平安を受けることを願っています。(2節)
人は誰もが恵み受け取り、心の平安を受け取りたいと願っています。それがクリスチャンであれば尚更にイエスより受け取りたいと願うものです。
2. 神は慰めに満ちた存在であり、私たちが苦難に直面しているときにも私たちを慰めてくださいます。(3節)
パウロはユダヤ人ですから、父である神と主張し苦難の時の慰めは父なる神より慰めがくると信じています。
3. 私たちは神から受ける慰めを通じて、他の人々も苦しみの中で慰めることができます。(4節)
苦しみの経験は大切です。それは神様から慰めを知りますし、豊かさを味わう事ができます。また貴重な体験によって、私たちはいま苦しみにある人々に慰めを与える事ができます。
4. キリストの苦難によって私たちも慰めを受けることができると述べられています。(5節)
人として与えられたイエスの苦しみは、私たちに同情できないお方ではないと紹介されています。ヘブル4:15「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」イエスの話を聞く度に慰めがあるのです。
5. 私たちが苦しみを経験する場合、それは他の人々の慰めと救いのためであり、私たちが慰めを受ける場合も同様です。(6節)
6. この慰めは、私たちが経験している苦難に耐え抜く力を他の人々に与えてくれます。(6節)
7. 私たちはあなたがたについて抱いている望みが揺るぎないと述べられており、私たちはあなたがたが苦しみと共に慰めを受けていることを知っています。(7節)
数々の試練と経験による慰めはあかしであって、そのあかしは裏切らないと語っているのです。そのあかしが信仰であって、信仰は形あるものとなっていきます。
第三伝道旅行にシルアノス(シラス)と同行していたパウロは、この手紙をコリント宛に書く際、私はバルナバという人格を思い出します。
慰めの子バルナバについて
先の文章を読んで、まさにその人格がバルナバのように思えます。ここでバルナバを紹介しましょう。
バルナバは、キリストの時代に、レビ族としてキプロス島に生まれました。青年時代、エルサレムに遊学したときに、キリストの説教を聞き、感動して72人の弟子に加わったとされています。使徒から「慰めの息子」という意味の、バルナバという名で呼ばれる。初代教会の信者は、財産を共有しており、彼も自分の土地を売って、代金を使徒たちのもとにもってきました。ACT4:36~37
パウロとの出会い ACT9:26~30
サウロ(後のパウロ)がダマスコでイエスに出会い、回心した後、エルサレムに戻って教会の信者たちと交流しようとします。しかし、彼らは最初はサウロを信用せず、恐れていました。バルナバは彼を受け入れ、使徒たちとの関係を構築する手助けをしました。
キリスト者と呼ばれるアンティオケ ACT11:19~26
アンティオキアの教会の成長とバルナバの役割が語られています。バルナバはエルサレムにいたサウロをアンティオキアに招き、共に1年間教会で働きました。また、彼らは最初に「キリスト者」と呼ばれた人々のために、財政的な援助を送りました。
パウロとバルナバは決別する ACT15:36~41
また旅の計画を立てますが、この時意見が対立しました。以前旅の途中で挫折(act13:13)して、離れて行ったマルコと言う使徒を、一緒に連れて行くかどうかで意見が分かれたのです。迫害を受けながらの旅は厳しいもので、挫折する使徒もいました。でももう一度伝道したいと願うマルコを、バルナバは一緒に連れて行きたいと言いました。パウロはそんな人は連れて行けないと主張しました。この意見の対立は激しく2人はついに別行動をとることになるのです。別々に旅立ち、これ以降それぞれの活動の中で殉教していきます。
あなたは、何とかして早く私のところに来てください。
デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。
ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
テモテへの手紙 第二 4章9~11節
「第二テモテへの手紙」の執筆時期については、正確な年代は特定されていませんが、一般的にはパウロの死後、紀元64年から紀元67年の間に書かれたとされています。この手紙は、パウロが投獄されていた時期に書かれたと考えられており、彼の最期に近い時期の教えや助言をテモテに伝えるために書かれたものです。
最後に慰めることの日本語の意味とは、
1 何かをして、一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。心を楽しませる。心をなごやかに静める。「失意の友を―・める」「音楽に―・められる」
2 労をねぎらう。いたわってやる。
「下向には京へ寄りて、四、五日も―・め」〈浮・五人女・二〉
3 なだめる。すかして落ち着かせる。
「とかく―・めて、とく来 (こ) といひやりたるに」〈枕・二五〉
[用法]なぐさめる・[用法]いたわる――「病人を慰める(いたわる)」「老母を慰める(いたわる)」など、やさしく接する意では相通じて用いられる。◇「なぐさめる」「いたわる」ともに、相手を大切にして元気づけることだが、心の悩みについては「なぐさめる」、肉体の苦しみについては「いたわる」を使う傾向がある。「心(寂しさ)をなぐさめる」「病身をいたわる」◇類似の語「ねぎらう」は、仕事や労苦に対して感謝の気持ちを示すことであり、多く目下に対して使う。「徹夜した部下をねぎらう」は「いたわる」でもよいが、「病身の老母をいたわる」に「ねぎらう」は使えない。