あなた方は祈りの家です。

8月28日(日) 午前0時に公開となります。
また、下記にはテキストを貼り付けました。是非ともご一読頂ければ感謝です。

来週は大阪での活動となります。それで日曜日の聖書の教えは大阪で収録したものを載せます。
後でご覧ください。
あるいは、萱島キリスト教会のYouTube配信でご覧頂けます。
下記にURLを貼っておきますのでご覧ください。

8月が終わりますが、最後まで神様の憐みがありますように。
9月の時も恵み豊かでありますように。
お祈り申し上げます。

ルカによる福音書19章45節〜48節

「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、 彼らに言われた。「こう書いてある。 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、 どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭19:45-48‬ ‭新共同訳‬‬

ザァカイさんのお話しエリコの町からエルサレムでのお話に移行する。
1、ザァカイさんの改心は奇跡でした。まさにメシアの威光と言っても過言ではありません。この世で人の気持ち、考えることの変化は難しい。それは時に自分で気がついても変えられない。そんな体験はないだろうか。変わる判断は自身にあります。ザァカイさんのように、イエスさまに切望し敬虔でありたいと思います。一方で聴衆は「いよいよ」という期待が膨れ上がります。当時のユダヤ人が持っていたメシア待望です。
2、エルサレム入場場面は、子ロバに乗ってでした。この箇所も是非とも読んでほしい。そして聖書の預言通りでした。ホサナと叫ぶ聴衆を見て祭司長たちは気づくべきでした。ですが彼等の面子が邪魔をします。受け入れられないという心情は様々な理由で起こるものです。イエスさまに関してはその思いを捨てるべきでした。ですが面子を優先したところに悲劇が起こります。その面子はユダヤ人社会にまで及ぼします。宗教者の利己主義が人々に不幸を漏らすのです。
3、イエスさまの目には神殿境内で商売をする人々と賑わいを目にします。神聖さに欠けた場所となっていました。日本の仏閣などでは参道にお店があっても境内にはありませんね。神聖を保つのが宗教者の役目です。それがここエルサレムでは完全に粗雑な場所となっていたのです。イエスさまはその場面を見て取り除こうとされました。
4、人の子イエスは、喜怒哀楽を持っています。ある本ではイエスさまに笑顔がなかったと紹介されました。そんなことはないと私は思っています。イエスさまは人です。ただ私たちと違う点があります。それは第二アダムという存在です。第二アダムとは第一アダムと違います。第一アダムは実を食べることでエデンの園から追放されました。私たちはその子孫です。第二アダムとはイエスさまのこと。同じ人間ですが聖霊にあって誕生します。それと男女の関係が無くマリアの胎内から誕生するのです。これは人間とのつながりを持ちつつも、神様による創造によって罪がない状態で誕生した。それを第二アダムと言います。また第一アダムも第二アダムも神様と会話したという日常があります。ただ第一アダムは神様の言いつけを守らず罪を犯した。そこからは神様との密接な関係はありませんでしたが、第二アダムは違います。マリアから誕生したイエスさまは神様との関係を密にして人格を養っていくのでした。それが十字架にかかるまで続くのです。
5、感情を露わにしたイエスさまは最も神様を愛した人でした。ですが商売の許可を出していたのは祭司たちでした。店を壊された小売人たちは訴えます。それで誰の権限・権威でこのようなことをしたのか問い詰める場面へと変わるのです。そのことは後程に。
6、わたしの家は、祈りの家でなければならない。とイザヤ署に記載されています。この家は神殿です。ソロモン時代に建てられたであろうその場所に第二神殿が建った。その神殿をイエスさまは家と位置付けるのでした。神殿=家は祈るところ。つまり神様に会うところです。一対一の場所です。その神殿がダビデが思った場所のかけらもない。当時の信仰が露わになっていました。
7、神殿と集会所は違う。私たちの神殿は心にあります。つまりエクレシアですね。御国を志す中で、御国には神殿があるのです。私たちはそこで静かに祈るのです。家とは私たちの体という捉え方もあります。一方で集会所は寄り合い場所です。共に祈り、相談し励ます合う場所です。そこで聖書も読まれていました。まさにコングリゲーションですね。
8、私たちは祈りの家となりましょう。その家に入ると安心と平安に包まれます。なぜなら神様が内住されているからです。前回もお話をしましたが、聖霊(御霊)さまは多くのタラントを与えてくれます。その中でも最も大切なのは祈りです。イエスさまにあってが鍵ですね。他の名ではありません。祈りの家からあらゆる可能性が生まれてきます。聖霊さまと伴走(祈り心)する私たちには愛と希望が溢れてきます。今いるところで、その場所を聖別し祈り続けましょう。
9、最後にイエスさまは静かな場所を探して祈りました。私たちもそうしましょう。特に活動、働いた後にはそのようにする事をお勧めします。

皆様の祝福が豊かにありますように。

中澤竜生