宣証<せんしょう>と、何故語るのか?
2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生した。
背中を押されるようにして支援活動が始まった。
地方ではあまり知られていないクリスチャン。または、
誤解もされているクリスチャン。
今回、愛のある働きを被災地で行う事によりクリスチャンを知った。
だけれども、キリスト教に対する理解、受入がされたわけではない。
その様な中、キリスト教者は支援と抱き合わせで布教される。
被災地では、キリスト教禁止と書かれた紙が貼られた場所が起こる。
そこで、
当時<2012年6月以降より>、クリスチャンセンター南三陸「愛・信望館」が設立された。センターはボランティア派遣施設ともなったので、仮設や行政区などを訪ねる前に説明会を開始した。その一つとして「宣教」ではなく、ここでは「宣証」をお願いしますと説明をする。
質問に「宣証」とは何ですか? と問われる事が狙いです。
つまり、一人ひとりによって言葉の意味、理解度が違う故にです。
「宣教する」についてもその宣教の仕方がが違うので、中には伝える事だけを目的として現場に来られる人がいるのです。それは単に、現場<被災地>では困惑しかありません。
伝える側の人間性は見えない。だけれでも、被災地では個人の生活にまで踏み込まれる事実が発生したのです。
ですから、現場では確認が必要となったのです。
とは言え、仮設で活動する前に、宣証の詳細説明をするのは不可能です。
事実、現場で長く活動をしているクリスチャンであっても、慎重さに欠く行動をし批判を買う場面がありました。その場合はただただお詫びをするばかりです。
なので、宣教というイメージから宣証とは何かを文章化にしする。あるいは、そろそろ現場で起きた事も整理する上でもここに記す必要がある気付きました。
以下は題目となります。
1,宣教を宣証と考える。(現場) 宣教や伝道はイエスを伝えることや教会に連れていくことに専念します。そこには相手の事情などはさておきです。「それは間違いです」と否定することも多くあります。ですが私たちも否定されるところを通してイエスさまに出会った。その経験は大切です。そして時間がかかるのです。いずれイエスに出会うとしてもクリスチャンとの交流を続けてきたことによるものです。
2,宣証に取り組む中での教会とは。(クリスチャンネットワーク)
3,キリスト教者とクリスチャン。
4,社会に福音を投じる事が大切。
5,異教徒へのアプローチ。
6,過去から未来へ。
以上。令和元年11月16日(土)
文責 中澤竜生