心のくじけ
2025/11/4
"どうして、イスラエルの子らの意気をくじいて、主が与えてくださった地へ渡らせないようにするのか。"
民数記 32章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この御言葉は、ヨルダン川の東側に住もうとしたルベン族とガド族に対して、
モーセが語ったことばです。
彼らは、与えられた土地の手前で落ち着こうとしました。
それを見たモーセは、「どうしてイスラエルの子らの意気をくじくのか」と叱責します。
神さまが導かれる約束の地に入る道を前に、
一部の人がそこで立ち止まることは、他の人々の信仰の歩みをも弱めてしまいます。
信仰の共同体において、「一人のあきらめ」は全体の意気をくじくことになるのです。
この言葉は、信仰者の責任を思い起こさせます。
私たちは互いに励まし合い、前へ進む信仰を支え合う存在です。
神さまが「与えてくださった地」はすでに備えられており、
恐れず、主に信頼して一歩を踏み出すことが求められています。
祈り文
信頼の神さま。
主が与えてくださった道を、恐れずに歩む信仰をお与えください。
私の弱さや迷いが、他の人の意気をくじくことのないように、
むしろ、共に進む者を励ます心をお与えください。
神さまが約束された地は、
すでに恵みのうちに備えられています。
どうかその約束を信じて、
立ち止まることなく前へと進む力をください。
私の言葉と行いが、
信仰の仲間を励ますものとなりますように。
主の導きと希望のうちに、
今日も一歩を踏み出させてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
旧約・新約をつなぐ
2025/11/3
"すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」
モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。"
民数記 21章8~9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この出来事は、荒野で民が神さまに不満を言い、信仰を失ったときに起こりました。
主は燃える蛇を送られ、人々はその罪の結果として苦しみました。
しかし民が悔い改めて赦しを願うと、神さまは「青銅の蛇を旗ざおの上に掲げよ」と命じられます。
蛇は、罪と裁きの象徴でした。
けれども神さまは、その象徴そのものを救いのしるしに変えられたのです。
青銅の蛇を仰ぎ見た者は生きる
それは、「信じて見る」ことによっていのちを得る、信仰の原則を示しています。
この出来事は、新約で主イエス・キリストご自身が語られたように(ヨハネ3:14〜15)、
十字架の預表です。
罪の中にある人を見捨てず、滅びではなく、いのちへの道を備える神さまの救いの恵みがここに現れています。
祈り文
救いの神さま。
民が青銅の蛇を仰ぎ見ていのちを得たように、
私も主イエス・キリストの十字架を仰ぎ見ます。
罪の痛みや過ちの中でも、
神さまは見放すことなく、
滅びの象徴をも救いのしるしに変えてくださいます。
どうか、絶望の中でも主を見上げる信仰をお与えください。
自分の力ではなく、
キリストの恵みにより新しいいのちを得ることができますように。
神さまの愛が、
私の過去の痛みをも包み、
それを救いの証へと変えてくださいますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
不満
2025/11/2
"主はモーセに答えられた。「この主の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」"
民数記 11章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この御言葉は、荒野でイスラエルの民が食べ物について不満をこぼし、モーセが疲れ果てて嘆いたときに語られました。
人々は「主の力では足りない」と心の中で思い、モーセも重荷に押しつぶされそうになっていました。
そのとき、主は静かに言われます
「この主の手が短いというのか。」
それは、神さまの力と真実さを思い出させることばです。
人の視点からは不可能に見えることでも、
神さまの御手は決して短くなく、
その約束は必ず時にかなって実現します。
この節は、信仰の旅の途中で疑いや不安に揺れる私たちへの励ましです。
神さまは、足りないように見えるところにも働かれ、
絶望の中に新しい希望を生み出される方です。
祈り文
力ある神さま。
人の目には不可能に見えることの中で、
主は静かに御手を伸ばしてくださいます。
「主の手が短いというのか」
この御言葉を思い起こし、
私の小さな信仰を強めてください。
思い煩いの中でも、
神さまの約束は変わらず、
その御業は必ず成し遂げられることを信じます。
どうか、今の試練の中にも主の御手を見出し、
不可能の中に備えられた恵みを受け取ることができますように。
神さまの力が、私の弱さを包み、
主のことばが実現するその日を信じて歩ませてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
「逃れの町(シェル・ミクラー)」に関する規定
2025/11/1
"あなたがたは町々を定めて、自分たちのために逃れの町とし、誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃れることができるようにしなければならない。"
民数記 35章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この御言葉は、神さまがイスラエルの民に命じられた「逃れの町」の制度についてのことばです。
それは、故意ではなく誤って人を死なせてしまった者が、復讐から逃れるために身を寄せる場所でした。
古代社会では、血の報復が慣習として行われていましたが、
神さまはここにいのちを守るためのあわれみの仕組みを設けられました。
罪を見過ごすのではなく、公正と憐れみを両立させる方法です。
「逃れの町」は、神さまが人に与える「やり直しの場所」の象徴でもあります。
罪や過ちを犯した人にも、再び立ち上がる機会を残す神さまの愛がここにあります。
私たちの時代にも、キリストがまことの「逃れの町」となられ、
悔いる者、疲れた者を受け入れてくださいます。
神さまの正義とあわれみは、いつもいのちを守る方向へと働いているのです。
祈り文
あわれみの神さま。
神さまは罪を正しく見つめながらも、滅びではなく、
赦しと回復の道を備えてくださる方です。
私も過ちを犯し、心が逃れたいと思うときがあります。
どうか、キリストのもとに逃れ、
赦しといやしを受ける者とさせてください。
他の人の過ちを見るとき、裁くよりも、
その人にも「逃れの町」を示すような心を持てますように。
神さまのあわれみを知る者として、
人に寄り添い、いのちを守る歩みをさせてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
神さまの確かな約束の言葉と実現
2025/10/31
"あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住め。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。"
民数記 33章53節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この御言葉は、神さまがイスラエルの民に語られた、約束の地を受け取るための命令です。
「あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。」
この言葉には、神さまの主権と恵みの両方が込められています。
民が手に入れようとしている地は、彼らの努力や戦いの成果ではなく、
神さまの約束と導きによって与えられる地でした。
つまり、神さまが先に与え、そののちに民が「受け取る」よう招かれたのです。
これは、信仰の歩みの原則でもあります。
神さまの約束はすでに与えられていますが、
それを「信仰によって受け取る」ことが私たちの応答です。
荒野の旅を終えた民にとって、
この言葉は新しい始まりのしるしであり、
神さまが真実に約束を成就されるお方であることを証ししています。
祈り文
真実なる神さま。
主がイスラエルの民に約束の地を与えられたように、
今日も私の歩みに、約束と希望の地を備えてくださることを感謝いたします。
神さまの恵みは、私の努力の結果ではなく、
主の愛と真実によって与えられるものです。
どうか、その恵みを恐れず受け取り、
感謝と信頼をもって歩む信仰をお与えください。
新しい道に立つとき、
主がすでにそこに道を開いておられることを信じます。
私の心を強くし、主の約束の地を受け取る勇気をお与えください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
信仰の継承と神さまの導き
2025/10/30
"主はモーセに言われた。「あなたは、神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを連れて来て、あなたの手を彼の上に置け。
彼を祭司エルアザルの前に、また全会衆の前に立たせ、彼らの目の前で彼を任命せよ。
あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエルの全会衆を彼に聞き従わせよ。"
民数記 27章18~20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この御言葉は、イスラエルの民が約束の地に入る直前、
神さまがモーセに命じてヨシュアを後継者として立てられた場面です。
ヨシュアは「神の霊の宿る人」と呼ばれました。
それは、彼の力や経験ではなく、神さまの霊による導きが彼を支えていたからです。
モーセは長い旅を導いてきましたが、自ら約束の地に入ることは許されませんでした。
しかし彼は、自分の栄誉よりも民の未来を願い、
信頼できる次の世代にその務めを託しました。
「あなたの権威を彼に分け与えよ」との命令は、
主の働きが人ではなく神さまの霊によって続いていくことを示しています。
信仰の継承とは、名誉の伝達ではなく、神の御手の中でのバトンの受け渡しなのです。
祈り文
導きの神さま。
モーセがヨシュアに務めを委ねたように、
私も主の導きに信頼し、
自分の働きを次へとつなぐ心を持たせてください。
神さまの霊が新しい世代の上にも豊かに注がれ、
主のご計画が途切れることなく続きますように。
自分の名誉や立場ではなく、
主の御心がなされることを第一とする心をお与えください。
そして、ヨシュアのように勇気と従順をもって歩む者を起こしてください。
神さま、どうか私の小さな歩みを用い、
次の人々の信仰の礎としてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
神さまの「ねたみ(聖なる熱心)」
2025/10/29
"「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、イスラエルの子らに対するわたしの憤りを押しとどめた。彼がイスラエルの子らのただ中で、わたしのねたみを自分のねたみとしたからである。それでわたしは、わたしのねたみによって、イスラエルの子らを絶ち滅ぼすことはしなかった。"
民数記 25章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この場面は、イスラエルの民がモアブの女たちに誘われて偶像礼拝に陥った直後の出来事です。
神さまの怒りが燃え上がる中で、祭司ピネハスは罪に立ち向かい、神さまの名の尊厳を守るために行動しました。
神さまは、「彼がわたしのねたみを自分のねたみとした」と言われます。
ここで言う「ねたみ」とは、嫉妬ではなく、愛の真実さ・聖なる熱心を意味します。
神さまはご自身の民を愛するがゆえに、罪がその関係を壊すことを深く悲しまれます。
ピネハスの行動は、神さまの痛みと熱心に共鳴したものでした。
そのひとりの忠実な行動によって、神さまの怒りは静まり、民は守られました。
この御言葉は、神さまの聖さとあわれみが同時に働くことを教えています。
真の信仰とは、神さまの心に寄り添い、その痛みを共に担うことなのです。
祈り文
聖なる神さま。
主の愛は真実であり、私たちを罪から遠ざけたいと願われる方です。
ピネハスのように、神さまの聖さを大切にし、
その心の熱さに共鳴する者とならせてください。
世の流れに流されることなく、
正しいことのために立ち上がる勇気をお与えください。
また、怒りではなく、愛とあわれみの心をもって、
人を導く者としてください。
神さまの聖さと憐れみが私のうちに生き、
人々に平和といのちをもたらす力となりますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
民を麗しいと見られる神さま
2025/10/28
"なんとすばらしいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。"
民数記 24章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
解説
この御言葉は、異邦の預言者バラムがモアブの王バラクに雇われ、イスラエルを呪おうとしたときに、
神さまの霊によって口を開き、逆に祝福の言葉を語った場面です。
「ヤコブよ、あなたの天幕はなんとすばらしいことか」
それは、神さまがご自分の民をどのように見ておられるかを示す言葉です。
イスラエルの民は荒野を旅し、弱さやつまずきを繰り返していました。
それでも神さまは、その陣営を「美しい」と言われました。
神さまのまなざしは、私たちの欠点や失敗にではなく、
神さまが共におられる姿そのものに注がれています。
私たちの人生も、神さまの臨在が宿るところとなるとき、
そこに「美しさ」と「祝福」が生まれます。
この節は、神さまの愛のまなざしを思い起こさせる、静かな慰めの御言葉です。
祈り文
恵み深い神さま。
バラムの口を通して語られた祝福のように、
主はご自分の民を美しいと呼んでくださる方です。
私の中にある弱さや欠けを越えて、
神さまが共におられるゆえに、
その歩みを祝福してくださることを感謝いたします。
どうか、私の心と生活の中にも、
神さまの臨在の美しさがあらわれますように。
不完全な私を通しても、主の愛がにじみ出るようにしてください。
主が喜ばれる住まいとして、
今日もあなたの恵みの中に生きる者とさせてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。