散らされても止まらない福音

しばらく建物の修繕に時間がかかりますが、
その間、ライブ配信でみことばに触れて頂ければと考えます。
申し訳ございません。
ご理解のほどよろしくお願いします。

説教題「散らされても止まらない福音」は、使徒の働き8章1〜4節をもとに、激しい迫害によりエルサレムから散らされた初代教会の信徒たちが、それでもなお福音を語り続けた姿を描いています。ステパノの殉教をきっかけに起こった迫害は、一見すると教会の崩壊のように思われましたが、実はそれこそが神の計画の始まりでした。イエスが約束された「エルサレムからユダヤ、サマリヤ、地の果てへと証人となる」道が、迫害によって現実のものとなっていったのです。

 

第一のポイントは、「迫害が民を散らした」ということです。ステパノの死を機に、信徒たちはエルサレムを追われましたが、それは単なる逃避ではなく、神が福音の広がりのために彼らを押し出された出来事でした。人間の目には敗北に見えても、神のご計画はその只中で進められていたのです。

 

第二のポイントは、「散らされた人々は沈黙しなかった」ことです。彼らは恐れや混乱の中でも沈黙することなく、行く先々で御言葉を宣べ伝えました。それは使徒ではなく、名もなき一般の信徒たちの歩みでした。神の国の前進は、特別な肩書きを持つ者ではなく、すべての信徒によって担われていたのです。

 

第三のポイントは、「散らしは終わりでなく、始まり」であるということです。信徒たちは突然の変化や喪失に直面し、「ここで終わりだ」と感じたかもしれません。しかし、神はその終わりに見える状況の中から、新たな始まりを起こされました。散らされたその先でこそ、福音がさらに広がり、多くの人々に届いていったのです。

 

そしてこれは、私たちの人生にも当てはまります。予期せぬ変化や試練によって「散らされた」と感じることがあるかもしれません。しかし、神はその場所にもご計画を持っておられます。今あなたがいるその場所に、福音を必要としている誰かがいて、あなたが遣わされているのです。

 

ですから、どんな状況にあっても、沈黙せず、恐れず、あなたの言葉で福音を語り続けてください。なぜなら、福音はどんな迫害にも、困難にも決して止められないからです。神は、散らされた先にもご自身の働きを備えておられ、あなたをその働きの一部として用いてくださいます。