聖霊を注いで下さったのです。

 

お題「聖霊を注いでくださったのです。」

聖書箇所は《使徒の働き 1章4節》《使徒の働き 2章33節》

 

そして、食事を共にしているとき、彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れず、私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。

使徒の働き 1章4節

 

それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。

使徒の働き 2章33節

 

 

「聖霊を注いでくださったのです。」

(使徒の働き 1章4節、2章33節)

 

主にある皆さん、おはようございます。

先週、私たちはペンテコステ 聖霊降臨を記念しました。

イエス・キリストが昇天された後、天から注がれた聖霊によってイエスさまを信じる共同体つまり教会が誕生し、信仰の時代が新しく始まりました。

今日は、「聖霊を注いでくださったのです。」というお題のもとで、使徒の働き1章4節と2章33節から、聖霊さまの存在、現在におけるその働き、そして未来への希望について、ともにみことばから聴きたいと思います。

 

まず、1章4節にはこうあります。

 

そして、食事を共にしているとき、彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れず、私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。

 

この場面は、イエスさまが復活された後、弟子たちとともに時間を過ごしておられる中での言葉です。

イエスさまは「父の約束されたものを待ちなさい」と命じられました。それは、旧約時代から約束されてきた「聖霊さまが注がれる」という神さまの約束でした。

 

弟子たちは、すでにイエスさまの復活を目の当たりにし、大きな驚きと希望に満たされていたと思います。

しかしイエスさまは、すぐに動き出すようには言いませんでした。むしろ、「エルサレムにとどまりなさい」共同(エルサレムを離れず)と言われたのです。

 

この「待ちなさい」という命令には大きな意味があります。

神さまの計画は、人間の思いや勢いによって進むものではなく、神さまご自身の御手と御霊によって始まるのです。

神さまは、弟子たちが備えを整えることよりも、ご自身の時に、必要な力を上から与えることを重んじられたのです。

 

やがてその「時」が訪れました。

五旬節の日、弟子たちが集まって祈っていたとき、突然、激しい風のような響きが天から起こり、炎のような舌が現れて、弟子たち一人ひとりの上にとどまりました。

そのとき、彼らは聖霊さまに満たされ、さまざまな国の言葉で神の大きなわざを語り始めたのです。

 

これがペンテコステ イエスさまを信じる共同体(つまり教会)誕生の瞬間です。

 

それを見て驚いた群衆に対して、ペテロは大胆に説教をし、その中でこう語りました。

 

それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。(共同訳)

 

神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」(使徒の働き2章33節)

 

ここに、私たちの信仰の土台が明確に語られています。

聖霊さまは、ただ神秘的にどこからかやってきた存在ではありません。

復活し、昇天されたイエス・キリストが、御父から受けて、私たちに注いでくださったものです。

これは「天に上げられたイエスさまは今も働いておられる」ということの証明でもあります。イエスさまは今も、聖霊さまを通して私たちと共におられるのです。

 

この真理は、現代の私たちにとっても非常に重要です。

 

第一に、聖霊さまは「今」も働いておられるということです。

 

「注いでくださった」とは過去形ですが、それは一度限りの出来事を意味するのではありません。

むしろ、そこから始まり、今もなお継続して注がれ続けている恵みなのです。

 

私たちは日々の生活の中で、悩み、恐れ、迷い、不信仰に陥ることがあります。

けれども、聖霊さまはそんな私たちのただ中に来られ、心を照らし、力を与え、神との関係を回復させてくださいます。

 

聖霊さまは私たちの「内に住む助け主」であり、私たちの祈りを取りなし、みことばを思い起こさせ、真理へと導く存在です。

信仰生活において、聖霊さまの助けがなければ、私たちは一歩も進むことができません。

 

 

第二に、聖霊さまはイエスさまを信じる共同体(教会)を建て上げる力であるということです。

 

ペンテコステの日に誕生した初代教会は、聖霊さまの働きによって一致し、宣教に燃え、貧しい者を顧み、祈りとみことばに満ちた共同体となりました。

教会は、制度や建物ではなく、聖霊さまに満たされた人々の群れです。

 

現代の教会もまた、この同じ聖霊さまによって建て上げられていきます。

礼拝の中で語られるメッセージも、賛美の中の感動も、祈りの中の導きも――

すべては聖霊さまの働きによるものです。

 

また、教会の一致、赦し、愛、奉仕も、すべて人間の力ではなく、聖霊さまが与えてくださる実りです。

だからこそ私たちは、日々「聖霊に満たしてください」と祈り求める必要があるのです。

 

 

第三に、聖霊さまは未来への備えをもたらすということです。

 

イエス・キリストは再び来られると約束されました。

その日まで、私たちはただ待つだけではなく、「備える者」「整えられる者」として召されています。

聖霊さまは、私たちをキリストの花嫁としてふさわしく整えるために、日々私たちのうちに働いておられます。

 

さらに、聖霊さまは、みことばを教え伝え  世界宣教の完成へと導いておられます。

ペンテコステの日、言葉の壁を越えて多くの人々が神を賛美したように、今も福音は世界中に広がり続けています。

これは聖霊の力です。人間の努力ではありません。

これからも聖霊さまは、文化や国境を越えて、神の救いを宣べ伝える者たちを起こしていかれます。

 

その中に、私たち一人ひとりも招かれているのです。

 

 

まとめ

 

聖霊を注いでくださったのです。

 

このことばは、過去の記録ではなく、今の私たちに生きて働く神の約束の成就です。

イエス・キリストは、昇天されて終わりではありませんでした。

むしろその時から、ご自身の霊を注ぎ、教会を生かし、信仰者を励まし、世の終わりに向かって神のご計画を進めておられるのです。

 

ですから私たちは、聖霊に満たされ、導かれ、整えられながら、今を生き、未来に希望をもって歩むことができます。

どうか、私たちの歩みが、聖霊によっていつも新しくされ、強められ、用いられていきますように。

そして「あなたがたの上にも、聖霊が注がれている」というこの福音が、これからも世代を越えて語り継がれていきますように。

アーメン。

天の父なる神さま。

あなたが私たちに、聖霊を注いでくださっていることを心から感謝します。

イエスさまが、十字架にかかり、復活し、天に昇られたあとも、

私たちを見捨てず、むしろ聖霊という助け主を送ってくださったことを覚えます。

 

どうか、私たちがその聖霊の導きを日々感じ、信頼し、歩むことができますように。

弱さの中にも、あなたの力を受けて、信仰の歩みを続けていくことができますように。

教会が一つとなって、聖霊に導かれ、あなたの栄光をあらわす器として用いられますように。

 

そして、これからの時代も、あなたが聖霊を注ぎ続けてくださいますように。

「主よ、今日も、聖霊を新たに注いでください。」

 

この祈りを、私たちの主イエス・キリストのお名前によっておささげします。

アーメン。