平和の王の到来・・・それから受難週

明日のバイブルカフェは、受難週のはじまりとして「今、私は心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、私をこの時から救ってください』と言おうか。しかし、私はまさにこの時のために来たのだ。」をお話をします。また下記には受難週にお読みする聖書箇所を掲載します。

10時よりライブ配信。またバイブルカフェをオープンしております。


12その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、

13なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」

14イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。

15「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」

16これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。

17さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、そのことを証しし続けていた。"

ヨハネの福音書 121217節 聖書 新改訳2017

 

 この文章は、「ヨハネによる福音書」の中のパームサンデー(枝の主日)に関する記述です。この出来事は、イエス・キリストがエルサレムに入城する前の出来事であり、キリスト教の聖週間、あるいは受難週の始まりを告げるイベントです。

 

この箇所での重要なポイントは次の通りです。

 

1. 翌日:これはイエスがベタニアでマリアによって香油で塗られた後、エルサレムに向かう途中の出来事です。

2. 大勢の群衆:この群衆は過越しの祭りのためにエルサレムに来ていた人々で、イエスの奇跡や教えに引きつけられた多くの人々を含んでいます。 

 

過ぎ越しの祭り(ヘブライ語ではペサハ Pesach)は、ユダヤ教の重要な祭りの一つで、春に行われます。この祭りは、古代エジプトからのイスラエル人の出エジプト、特に神が彼らを奴隷状態から解放し、約束の地へと導いた出来事を記念します。

過ぎ越しの名前は、出エジプト記に記された十の災いの最後、すなわちエジプトの長子を打つ災いの際、イスラエルの家々を「過ぎ越した(passed over)」ことに由来します。イスラエルの人々は神の命令に従い、自宅の入口の上枠と両側の枠に羊の血を塗りました。この印を見た死の天使は、その家を「過ぎ越し」、そこにいる長子を害することがありませんでした。

 

3. なつめ椰子の枝:群衆が持っていたのは、勝利や平和の象徴であるナツメヤシの枝です。これらを振りながらイエスを迎えることは、彼を王として歓迎し、救世主としての役割を認める行為でした。

 

4. ホサナ:この叫びは、「救ってください」または「救済を」を意味するヘブライ語から来ており、ここでは讃える意味で使われています。イエスへの期待と王としての賛美が込められています。

「ホサナ」は、ヘブライ語の言葉「הוֹשִׁיעָה נָּא(Hoshi'ah-na)から来ており、その意味は「どうか救ってください」や「どうか救いを」です。当初、この言葉は助けや救済を求める切実な祈りを表していました。しかし、時間が経つにつれて、その使用法は変化し、「救いの祈り」だけでなく、「賛美」「喜び」「感謝の表現」としても用いられるようになりました。

ユダヤ教の伝統では、特に重要な祭りであるスコット祭(仮庵祭)の間に「ホサナ」の祈りが行われます。この期間、信徒たちは「ホサナ」と唱えながら、ルラブ(ナツメヤシの枝)、エトログ(シトロンの実)、ハダス(ミルトの枝)、アラバ(柳の枝)の四種類の植物を持って神殿の周りを行進しました。これは、神の創造物への感謝と、豊かな収穫を求める祈りを表します。

 

 

 

 

 

 

5. 祝福あれ、主の御名によって来られる方に:これは詩篇118:26からの引用で、神によって遣わされた救世主を歓迎する言葉です。

宗教的・歴史的背景

詩篇118篇は、元々は神殿での礼拝や祭り、特に仮庵祭(スコット祭)で使用されていたと考えられています。ユダヤ教では、「ハレル」の一部として、パサハ(過越しの祭り)、シャブオート(週の祭り)、スコット(仮庵祭)などの重要な祭りの時に読まれます。

 

6. イスラエルの王:群衆がイエスをイスラエルの王と見なし、その統治と救済を期待していることを示します。

 

7. ろばの子に乗るイエス:イエスが意図的にろばの子、すなわち、若いろばに乗ることを選んだのは、謙遜と平和の象徴です。これは、戦争を意味する戦馬ではなく、平和の王が謙遜に人々のもとへ来る様子を示しています。

 

8. 聖書の預言の成就:「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」という言葉は、旧約聖書のゼカリヤ99節からの引用で、イエスのこの行動がメシア、すなわち神の救いの計画における王としての役割を果たすことの予言の成就を示しています。

 

ザカリヤ書99節の預言の成就と見なされています。「シオンの娘よ、大いに喜べ。エルサレムの娘よ、声を高らかに歌え。見よ、あなたの王があなたのところに来る。彼は公正であり、勝利を得ている。謙遜であり、ろばに乗っている、すなわち、ろばの子に乗っている。」この預言は、イエスが平和の王としてエルサレムに入る様子を予告しており、イエスの行動はこの預言を意識的に成就させるものでした。

 

9. 弟子たちの理解:このイベントが起こった当時、イエスの弟子たちには、これらの行動が聖書の預言を具現化していることが完全には理解できていませんでした。しかし、イエスが栄光を受けられた後、すなわち復活と昇天後、彼らはこれらの出来事が聖書の預言とイエスに関する予告の充足であったことを理解しました。

 

10. ラザロの復活の証人たち:イエスがラザロを死から蘇らせた奇跡は、多くの人々に深い印象を与え、彼の神聖さと力を示すものでした。この奇跡を目撃した人々は、イエスのエルサレム入城の際にもその証人となり、その奇跡について証しし続けていました。

 

この箇所は、イエスの謙遜さ、平和への願い、そして神の救済計画における彼の中心的な役割を象徴していました。また、イエスの生涯と彼の行動が旧約聖書の預言をどのように成就させたか、そしてその奇跡がどのように人々の心に影響を与えたかを示しています。

 

27「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。

ヨハネによる福音書12章27節