エルサレムに平和を、  人種を越えた人々に安らぎを願いつつ。

エルサレムに平和を、

 人種を越えた人々に安らぎを願いつつ。

~ 妬みが起きるほどの愛とは・・・ ~

 

詩篇122篇6節~9節

6 エルサレムの平和を求めよ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。

7 あなたの城壁の内に平和があるように。あなたの城郭の内に平安があるように。」

8 私の兄弟、友たちのために、さあ、私は言おう「あなたの内に平和があるように。」

9 我らの神、主の家のために私は願おう「あなたに幸いがあるように。」 

 

ローマ書11章11節~12節

11 では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたのは、倒れるためであったのか。決してそうではない。かえって、彼らの過ちによって、救いが異邦人に及びました。それは、彼らに妬みを起こさせるためです。

12 彼らの過ちが世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。

 

衝撃的な映像を目の前にして、それから既にかなりの時間が経ちました。ただ、怖いのはそれに慣れてしまうことです。さらに、多くの国では私たちの日常からは遠く離れた出来事が起きています。情報だけを頼りにすると、混乱してしまうこともあるので、見誤らないように気をつけなければいけません。

 

「見誤らないように」とは何でしょうか?

 

人々は正義を掲げることがあります。しかし、正義を掲げて人を傷つけることもあるのです。傷つけられたものにとって、傷つけたものは正義ではありません。情報だけを頼りにして善悪を判断しようとする場合、その多くは正義ではなくなります。なぜなら、私たちがいる場所と次元が異なるからです。

 

1テサロニケ 5章3節には次の聖句が書かれている。

「人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。」 

 

この言葉の意味は、私たちは生活が保証された場所にいて、明日が確実にやってくると信じています。まるで「明日があるさ」という歌を思い出します。ですが「平和で安全な状態にいるときにも突然変わる可能性がある」と諭される一文である事は理解しておきましょう。

 

エルサレムの平和のために祈れ

この御言葉は、クリスチャンの間で有名な聖句であり、詩篇122篇に由来します。この詩の作者は旅人で、長い旅を経てエルサレムに到着します。エルサレムは堅固な城郭に守られた都市であり、多くの商人や異国人も訪れています。この都市は名声高いダビデ王によって統治され、平和が保たれています。詩の作者は、この美しい状況に感銘を受けて、詩を詠むことを思わず選びました。

このようなエルサレムの平和が続くようにと心から願い読まれました。現在も詩篇122篇にあった平和が実現するようにと願います。

 

平和が続くためには。

イエスが語る福音には平和が含まれています。そして、平和を実現するためには愛が不可欠です。しかし、このメッセージは当初、ユダヤ人(特に宗教者)には理解されませんでした。むしろ、イエスは迫害され、最終的には十字架にかけられました。その後、イエスの弟子たちもイエスの意志を引き継ぎ、福音を広めましたが、多くの場所で拒絶されました。その結果、パウロは最終的に異邦人に福音を伝えることに焦点を当てました。これが次の聖句で表現されています。

ローマ書11章11節です。

「彼らに妬みを起こさせるためです。」

「嫉妬」という言葉は決して良いものではありませんが、私がここで伝えたいのは、聖書における神の愛を受け入れ、それに応えることで、異邦人が互いに愛を実践することに気づかされることです。この思いは、パウロによって願われ、また、異邦人からユダヤ人に福音を伝える切望も書かれています。

 

私たちは平和を心がけ、平和を愛し、平和を作り出すものとなりましょう。

 

中澤竜生