科学で信じられない事を信仰と言い、私の信仰は福音に望を置いています。

下記は編集された動画です。↓

明日(19日)のライブ放送はここからどうぞ。↑
10時より始まります。

福音書に書かれているイエスを信じ、弟子たちが証言している事を信じて日常を過ごしています。

明日はその事を、皆さまと分かち合いたいと思っています。


"兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。

私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。

その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。

そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。

私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。

とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。

もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。

私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。

もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。

そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。

もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。

アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。

しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。

それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。

すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。

最後の敵として滅ぼされるのは、死です。

「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。

そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。

なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。

兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。

もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。

惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。

目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。

しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。

愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。

また、あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。

しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。

どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。

また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、

太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。

最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。

第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。

土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。

私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。

兄弟たち、私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。

聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。

終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。

そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」

「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」

死のとげは罪であり、罪の力は律法です。

しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。"

コリント人への手紙 第一 15章1~58節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


科学で信じられない事を信仰と言い、

私たちの信仰は福音に望みを置いています。


第一コリント人への手紙15章全体



 私たちが信じている多くのことは『新約聖書』に記された出来事に基づいています。これらの教えは、初めは弟子たちの証言として始まり、後に巻物として各地に広まり、何度も読み返されました。特に、パウロが書いたとされる手紙群は、大切に伝承されています。中でも『コリント人への手紙第一』の15章は、信仰の要点をまとめた重要な文章であり、福音の本質を示すメッセージとして特別な意義を持ちます。今日は、その文章から抽出したいくつかの要点についてお話しします。


1節〜2

1、パウロは、自身が伝える福音の重要性を強調しており、それを受け入れることによって救済がもたらされると説明しています。この福音の核心は、キリストの死と復活にあります。これらの出来事は聖書に記されている通りであり、福音の中心的事実とされています。また、キリストが死後に多くの証人たちに現れたことも記されているのです。


3節〜8

2、次にキリストの死と復活は、聖書に記されている通りであり、これが「福音の核心」を成します。キリストが死後に多くの人々に現れたことは、多くの証人によって証言されています。これらの証言者を「証人」と呼びます。信じる人々は、彼らの生き方を通じて、イエスが生きているという証を立てます。これを「証」とも言います。この証は私たちに深い感動や感銘を与え、信仰の確信を深めます。言い換えれば、キリスト教徒の先輩たちの話を聞くことや、日常生活での小さな体験を通して、キリストの臨在を実感し続けるのです。」

「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。」

コリント人への手紙 第一 1613節 新改訳聖書2017

堅く信仰に立ちなさいとは、揺るぎやすい私たちを励ます言葉です。


9節〜11

3、次にパウロは自身を使徒の中で最も小さいと謙遜に述べています。彼は自分の変化と努力を、神の恵みによるものとして認めています。パウロは多くの危険な状況に遭遇し、何度も死に直面しました。しかし、その度に神は彼を守り、恵みを与え続けました。この恵みは、人々との出会いの中で現れました。パウロが仕事をする際にも、必要な食糧、適切な休息の場所が神からの恵みとして与えられたのです。

労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。

ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、

ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、 

         コリント人への手紙 第二 112326節 聖書 新改訳2017


12節〜21

4、次にパウロは、『キリストが死者の中から復活した』ことが信仰の基盤であると述べています。彼によれば、この事実がなければ信仰は空しいものになります。さらに、パウロは『キリストが死者の初穂として復活した』ことを強調し、これによって全ての人の復活がキリストを通じて実現すると説明しています。

宗教には死後の世界に関する様々な教えが存在します。キリスト教では、先に述べたような教えが中心となり、信徒たちはそこに望みを寄せています。イエス・キリストをこの望みの中心と見なすことは重要であり、彼以外の存在を中心に据えた教えを示した場合、過去には「異端」と見なされることもありました。


22節〜57

5、次にパウロは、神の国は血肉の身では相続できず、朽ちないものに変わる必要があると教えています。それが復活した時のからだです。

また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。

あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に現されるように用意されている救いをいただくのです。

ペテロの手紙 第一 145節  聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


私たちの身体は年を重ねるごとに老い、やがて朽ちていく運命にあります。これは避けられない人間の宿命です。しかし、復活したイエスは私たちにとっての模範となっています。これは「最初のアダム」と「最後のアダム」という概念に関連しています。新しい契約において、私たちは最後のアダム、すなわちイエス・キリストによる恵みを受けるのです。


身体の老化という人間の自然な過程と、それに対するキリスト教の教え、特にイエス・キリストの模範としての役割が明確に表現されています。また、「最初のアダム」と「最後のアダム」という概念を用いて、新しい契約の下での恵みの受け取り方を説明しています。


58

6、最後に、パウロは信者たちに福音を信じて堅く立つように促し、主の業に励むことの大切さを強調しています。彼は信者たちに、そのような労苦は決して無駄ではないという確信を与えています。多くの問題に直面しているコリントの教会を継続的に励ますことは、パウロにとって重要な使命の一つでした。


中澤竜生