共に歩む:キリスト者の信仰と共同体

聖書箇所は、コリント第一の手紙 11章23節〜25節 です。

2023年10月29日(日)10時〜

聖餐の時をもちつつ、聖書のお話をします。

上記はライブ配信です。

共に歩む:キリスト者の信仰と共同体

 

聖書箇所:コリント第一の手紙 11章23節~25節(新改訳聖書2017)

パウロが書いた手紙

 

23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えました。すなわち、主イエスは渡される夜、パンを取り、24 感謝の祈りをささげた後それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」25 食事の後、同じように杯を取って言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」

26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。27 したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。28 だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。29 みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。

 

本日は、聖餐の時をもちつつ聖書のお話をしていきます。先ずは聖書箇所を朗読しましょう。

23節より25節まで。

1,主(イエス)から受けた事を伝える。

 ・わたしのからだ

 ・血による新しい契約

2,主が死んだことを告げる。

3,ふさわしくない仕方でとは何か。

「ふさわしくない仕方」とは、聖餐の儀式を不敬に扱うこと、または聖餐の目的や意味を理解せずに受けることを指します。キリスト教の聖餐は、主イエス・キリストの死と復活を記念し、信仰の象徴として受けるものであり、尊重されるべき儀式です。

 

a. 不敬な態度: 聖餐の儀式中に冷淡な態度や無礼な態度を示すこと。これには、冗談を言ったり、他の参加者を嘲笑する行為も含まれます。

 

b. 不適切な心境: 聖餐の儀式は信仰心と感謝の心で受けるべきです。儀式中に他のことを考えたり、無関心な心境で臨むことは、ふさわしくないとされます。

 

c. 罪悪感や自己吟味の欠如: 聖餐は、自己吟味と悔い改めの機会でもあります。ふさわしくない仕方で受ける者は、この重要な側面を無視することがあります。

 

d. 聖餐の意味を理解しない: 聖餐の背後にあるキリスト教の信仰や意味を理解せずに、単なる儀式として受けること。

 

総じて、ふさわしくない仕方とは、聖餐の儀式に敬意を払わず、信仰と感謝の精神を欠いた状態で受けることを指します。多くのキリスト教の教派では、聖餐を受ける前に心の準備と悔い改めが奨励され、儀式を適切に行うためのガイドラインが提供されています。