誰もわからない私の悩み その2

今回はあらかじめの録画となります。

10時よりご覧頂けます。


私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。

私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。

主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。

見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。

主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。

昼も日があなたを打つことはなく夜も月があなたを打つことはない。

主はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。

主はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。

詩篇 121篇1~8節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会


前回の続き

 

2, それでも人の社会は様々な出来事あって課題と問題は絶えないものです。

例えば、

a. イスラエル人と一緒にエジプトを出て来た鳥合の衆<うごうのしゅう>という人たちは、約束の土地のみを期待していて、そこに至るために試練の期間があることを予測していなかった。そんな人々が起こした騒ぎでした。

b, 人は手に持たない幸せを追い求める。民数記11章5節「エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。

c, リーダーへの不満と追及(ただしこの事には注意が必要です。不満を語る者への責任) 民数記11章14節、15節「私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。

私をこのように扱われるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を悲惨な目にあわせないでください。

d, 恩恵と経験の分与 民数記11章24節「モーセは出て行って、主のことばを民に語った。そして民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の周りに立たせた。

すると主は雲の中にあって降りて来て、モーセと語り、彼の上にある霊から一部を取って、その七十人の長老に与えられた。その霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言した。しかし、重ねてそれをすることはなかった。

e, 偏った見方と見解に注意する 詩篇121篇を朗読する。

これはエルサレムへと上る都上りの歌です。旅人は繰り返す旅に危険を感じつつ移動します。その移動は昼夜問わず不安を掻き立てるものでした。作者は「山に向かって」と書いてありますが、私たちが想像する山ではありません。砂漠であれば砂の丘ですし、荒野であればゴツゴツとした石の山です。割れ目や隙間が多くあって移動するには歩きにくく、動物や危険な生物の住処です。時には盗賊などもいるでしょう。目先が覆われる高い岩山、丘の先を見つめて心配と不安を祈る。そして言葉(ロゴス)を受け取るのです。

民数記で起きた場面を想像しますと、烏合の衆の声に自分はどのように話を聞くのか。そこは重要です。騒いでいるから騒ぐのではなく、また大変だから大変になるのでもなく、何が起きているのかを冷静に判断し、クリスチャンであれば祈ることが良いでしょう。また祈るだけでなく、聖書を読む事や、信仰書などを読むようにして問い掛ける静思の時間をとるのもいいですね。

 

下記はモーセに関すること

a.神はご自分の民を解放し導くにあたって、モーセに神の力と恵みを満たして、輝かしい指導者とされたが、モーセはここでその栄誉を軽視している。

(中澤)人の上に立つ者は与えられている役目を理解し、その判断と言葉に重大な責任が伴うことを常に自覚する必要がある。その立場に対して謙遜と誠実になる事を忘れてはいけません。

b.モーセは民の不満を見てとり、そのことで苦情をおおげさに訴えている。エレミヤ書12章5節「あなたは徒歩の者と競走して疲れるのに、どうして馬と走り競うことができるだろうか。平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの密林で過ごせるだろうか。

c.モーセは「このすべての民の重荷を私に負わされている」といって、自分の仕事を過大にいいたてている。だが事実上、神はいつでもモーセのあらゆる重荷を取り除いていてくださる。

d.おのが民のため最善をなすべく神に任務を与えられたが、モーセはその務めのことをよく理解していない。

e.「どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか」(13節)という問いからすると、モーセは、神ではなく、自分が、家政婦ででもあるように、あまりにも多くのことをしょいこまされていると考えているようである。

f.モーセが「この民全体を負うことができない」と絶望したとき、モーセは神の恵みへの不信を口にしている。

g.ちょうどこのときモーセがおかれていた状況に心を乱されていたからといって、死を強く願い、即座に自分を殺してくれとのぞむのは、もっとも悪しきことである(15節)。

民数記1 マッシューヘンリ注解書より

 

3,生きているだけで悩むのです。例えばネガティブな時の他の芸人さんたちがよく口にする明石家さんまさんの名言、「生きているだけで丸儲け」という言葉が、彼らにとってどれほど救いとなっているかと頻繁に聞かれます。

4,悩む<やくさむ>から、思いやる事ができる。「人は自分が体験したことによって理解が深まります。ただし、すべてを理解できるわけではありません。それでも、こうした経験がなければ想像することは難しいでしょう。健康な人には、病気と対峙する日常を完全に理解することは難しいでしょう。しかし、理解が充分でなくても知ろうとする気持ちがあるなら、それは素晴らしいことです。そうした気持ちになることは、思い悩む心を持っているからだと思います。」

5,悩む事で祈る。人に相談したり、努力によって解決する事もあります。しかし努力や相談だけではどうしても解決できない事があります。そこで人は必然的に祈ることを学びます。

6,祈る事はクリスチャンの呼吸 クリスチャンとは聖書の神さまを信じています。その聖書が祈ることを教えています。ペテロの手紙第一5章7節「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 

最期に、

主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。

申命記 31章8節 

 

聖書には、イスラエルの民が40年間荒野生活を通じて生かされ、守られた記録があります。同様に、聖書の神は私たちを見守っており、私たちの人生を守ってくださっています。