誰も知らない私の悩み


Nobody knows the trouble I've seen

ノーバディ・ノウズ・ザ・トラブル・アイヴ・シーン

 

Nobody knows the trouble I've seen

Nobody knows my sorrow

Nobody knows the trouble I've seen

Glory hallelujah!

誰も知らない私の悩み

誰も知らない私のしみ

誰も知らない私の悩み

主に栄光あれ

Sometimes I'm up, sometimes I'm down

Oh, yes, Lord

Sometimes I'm almost to the ground

Oh, yes, Lord

時には陽気に 時には落ち込み時には倒れる寸前までああそうです主よ

If you get there before I do

Oh, yes, Lord

Tell all-a my friends

I'm coming to HEAVEN!

Oh, yes, Lord

もし先に着いたのなら友達に伝えておくれ

俺もすぐに主の下へ行くからと

 

19世紀半ば頃から広がった黒人霊歌、スビリチュアルソングがあります。

様々なアーティストがカバーしていますが、中でもルイ・アームストロングによるアレンジ曲は有名です。 

「誰も自分の苦しみや悲しみを知らない」とありますが、気弱になっているわけではありません。

これは信仰賛歌です。


2023年10月1日(日)は「誰も知らない私の悩み」と題してお話します。

聖書箇所:旧約聖書 民数記11章1節〜30節

さて、民は主に対して、繰り返し激しく不平を言った。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。

すると民はモーセに向かってわめき叫んだ。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。

その場所の名はタブエラと呼ばれた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったからである。

彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。

エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。

だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」

マナはコエンドロの種のようで、一見、ベドラハのようであった。

民は歩き回ってそれを集め、ひき臼でひくか臼でつき、これを鍋で煮てパン菓子を作った。その味は、油で揚げた菓子のような味であった。

夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれと一緒に降りて来た。

モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入り口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がった。このことは、モーセにとって辛いことであった。

それで、モーセは主に言った。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのですか。なぜ、私はあなたのご好意を受けられないのですか。なぜ、この民全体の重荷を私に負わされるのですか。

私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。私が彼らを産んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『乳母が乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの父祖たちに誓った地に連れて行け』と言われるのですか。

どこから私は肉を得て、この民全体に与えられるでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。

私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。

私をこのように扱われるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を悲惨な目にあわせないでください。」

主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、民の長老で、あなたが民のつかさと認める者七十人をわたしのために集めよ。そして、彼らを会見の天幕に連れて来て、そこであなたのそばに立たせよ。

わたしは降りて行って、そこであなたと語り、あなたの上にある霊から一部を取って彼らの上に置く。それで彼らも民の重荷をあなたとともに負い、あなたがたった一人で負うことはなくなる。

あなたは民に言わなければならない。明日に備えて身を聖別しなさい。あなたがたは肉を食べられる。あなたがたが泣いて、主に対して『ああ、肉が食べたい。エジプトは良かった』と言ったからだ。主が肉を下さる。あなたがたは肉を食べられるのだ。

あなたがたが食べるのは、ほんの一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、

一か月もであって、ついには、あなたがたの鼻から出て来て、吐き気をもよおすほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、その御前で泣き、『いったい、なぜ、われわれはエジプトから出て来たのか』と言ったからだ。」

しかしモーセは言った。「私と一緒にいる民は、徒歩の男子だけで六十万人です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一か月の間食べさせる、と言われます。

彼らのために羊の群れ、牛の群れが屠られても、それは彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚が全部集められても、彼らに十分でしょうか。」

主はモーセに答えられた。「この主の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」

モーセは出て行って、主のことばを民に語った。そして民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の周りに立たせた。

すると主は雲の中にあって降りて来て、モーセと語り、彼の上にある霊から一部を取って、その七十人の長老に与えられた。その霊が彼らの上にとどまると、彼らは預言した。しかし、重ねてそれをすることはなかった。

そのとき、二人の者が宿営に残っていた。一人の名はエルダデ、もう一人の名はメダデであった。彼らの上にも霊がとどまった。彼らは長老として登録された者たちだったが、天幕へは出て行かなかったのである。彼らは宿営の中で預言した。

それで、一人の若者が走って来て、モーセに告げた。「エルダデとメダデが宿営の中で預言しています。」

若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアは答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」

モーセは彼に言った。「あなたは私のためを思って、ねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となり、主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」

それから、モーセとイスラエルの長老たちは、宿営に戻った。

民数記 11章1~30節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 


1,誰も知らない私の悩み=悩みは誰にでもあります。そして、悩みとは人それぞれ異なり、受け止め方も多様です。例えば軽度の悩み、深刻な悩みも含めてです。

 

a.心の中に秘めている人

決して他人には言えないことがあります。説明できないことを抱えて、理解されずに苦しむこともあります。

b.外に出す人

話すことで問題を解決する方法があります。自分の気持ちを表現できます。

 

モーセの場合、人々の不平不満を聞くのみです。

それは大きなストレスとなり、日々の悩みです。

荒野へと旅立ち三日目に起きたパラン荒野で起きた出来事です。

テントから聞こえる嘆き声にモーセは心震えます。

 

実は、飲食や住居に関しては、神様が保証してくださっています。

マナに関しては、調理法も様々で栄養価の高い食べ物であったようです。しかし、人は過去に味わったものを忘れられずに求めます。

荒野で過ごすにも神様のお計らいがあった事がわかります。

着るものに関しては以下の通りです。

この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。 申命記 8:4

荒野の旅路に不便が無いようにとされていました。