アンテオケ教会のはじまり

2023/07/23 日曜日 10時〜 Open

タイトル「アンテオケ教会のはじまり」

使徒の働き 11章19節〜30節

ライブ放送します。

【聖書】

 「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。」

 使徒言行録 11:19-30 新共同訳



1. アンテオキアの教会に広がる福音

アンテオキア教会が始まった背景は、ユダヤ人のクリスチャンが異邦人に福音(イエス・キリスト)を語ったことにあります。当初、キリスト教の福音は主にユダヤ人に向けて広められていましたが、後にアンテオキアに到着したユダヤ人のクリスチャンたちが良い生き方をしていたために異邦人にも福音の良さが伝わります。(情報として、ユダヤ教は異邦人にユダヤ教を信奉するようにと伝道する事はありません。なぜならユダヤ人は選ばれた民であり、ユダヤ人としての宗教だからです。異邦人はユダヤ人にはなれず、それでもユダヤ人になるためには宗教的儀礼を受ける必要がありました。)アンテオキアは多様な文化的背景を持つ都市であり、異なる民族や言語を話す人々が集まっていたため、異邦人が福音に触れる時間が多くなりました。バルナバやサウロ(後の使徒パウロ)がこの地で福音の素晴らしさを伝え行い、異邦人たちにキリスト教の福音を伝えることで、多くの異邦人がキリスト教を受け入れるようになりました。アンテオキアの教会はこの異邦人への福音を通じて成長し、多様性に富んだ共同体として発展していったのです。


2. エルサレム教会から派遣されるバルナバ

アンテオキアでの福音の広がりはエルサレム教会にも知られ、バルナバがアンテオキアに派遣されました。バルナバはサウロ(後の使徒パウロ)を探しに行った理由は、サウロの改心とその後の重要な役割を聖霊様にあって認識し、共に働くことの重要性を感じたからです。かつてサウロはキリスト教の迫害者として知られていましたが、ダマスコでイエス・キリストに出会い、改心して使徒としての役割を受け入れたのです。バルナバはサウロの改心に感動し、彼の伝道活動を支援し、共に働くことを決意しました。アンテオキアに到着して多くの人々が主に導かれる様子を見たバルナバは喜び、さらなる成果を得るために信頼性のある同僚であるサウロをタルソスから探し出しました。バルナバとサウロの共同の伝道活動は初期のキリスト教の成長と普及に重要な役割を果たし、アンテオキアで初めてキリスト者と呼ばれるようになったのです。


3. 大飢饉に向けて支援が始まる

紀元46年頃(カリグラ帝)の時代においても、ローマ帝国全体に大飢饉が起こりました。その時の記事が『ユダヤ古代誌』20.2.5に記されています。「そのころ、大飢饉が起こりました。これにより、ローマ帝国全体が窮乏し、人々は食糧不足に苦しみました。」

そして次にクラウディウス帝の時代に大飢饉が起こります。その事を預言したのがアガボです。それでアンテオキアの教会はこの大飢饉に対して支援を行うことを決定し、バルナバとサウロがユダヤに住む兄弟たちへ援助の品を届ける使命を負いました。これでキリスト者の支援活動と人々に信頼される貢献活動が始まりました。