要石(かなめいし)

明日のバイブルカフェは、YouTubeにて公開メッセージを致します。

時間は10時からです。

題は、要石(かなめいし)です。

使徒の働き4章1節〜22節

下記はテキストです。


要 石

 

ペテロとヨハネが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが二人のところにやって来た。

彼らは、二人が民を教え、イエスを例にあげて死者の中からの復活を宣べ伝えていることに苛立ち、二人に手をかけて捕らえた。そして、翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。

しかし、話を聞いた人々のうち大勢が信じ、男の数が五千人ほどになった。

翌日、民の指導者たち、長老たち、律法学者たちは、エルサレムに集まった。

大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレクサンドロと、大祭司の一族もみな出席した。

彼らは二人を真ん中に立たせて、「おまえたちは何の権威によって、また、だれの名によってあのようなことをしたのか」と尋問した。

そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。

私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。

『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」

彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。

そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。

彼らは二人に議場の外に出るように命じ、協議して言った。

「あの者たちをどうしようか。あの者たちによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムのすべての住民に知れ渡っていて、われわれはそれを否定しようもない。

しかし、これ以上民の間に広まらないように、今後だれにもこの名によって語ってはならない、と彼らを脅しておこう。」

そこで、彼らは二人を呼んで、イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならないと命じた。

しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。

私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」

そこで彼らは、二人をさらに脅したうえで釈放した。それは、皆の者がこの出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、二人を罰する術がなかったからである。

このしるしによって癒やされた人は、四十歳を過ぎていた。

使徒の働き 4章1~22節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 ペテロとヨハネは宮に入り、参堂する人々を惑わし、その結果として捕らえられました。彼らは特にイエスの復活について話しました。この復活に関する話は、サドカイ派にとっては苛立ちの原因でした。

夕方、イエスが捕らえられた時点ではすでに夜遅くであり、朝方にかけて協議が行われました。通常の場合、協議は平時の夕方までに終了することが一般的です。イエスの逮捕と協議の時間帯が異常であったことから、その出来事の特異性が分かります。

 

 指導者、長老、律法学者、祭司たち、そして大祭司の一族が集まり、イエスの裁判に関して協議が行われました。この協議はイエスの裁判の際と同様に大騒ぎとなりました。

 

1,誰の権威によってなのか。

協議に集まった指導者、長老、律法学者、祭司たち、そして大祭司の一族は、何の権威によって集まったのか、つまり誰の差し金で行われたのか、そして誰が指導者であるのかを知るために質問しているのです。当時の時代には多くの指導者が存在し、それぞれが自身の弟子を持っていました。このような背景から、事件の発端や背後にいる人物を理解するために、こうした情報を求めているのです。

 

2,彼らにとって嫌な名前がでてきます。

さらに、彼らにとって不快な名前が浮かび上がります。さらに、彼は明確に言いました、「あなたがたが十字架につけた」と。そして、よみがえられた事も明示し、ナザレ人イエス・キリストの名によると話した。協議している人々は大変驚きます。彼らは執拗にも脅しを繰り返し、その対応には徹底的です。

 

3、この方以外には、誰によっても救いはありません。

この方以外の信仰とは、当時のユダヤ人が描くものではありませんでした。つまり律法(行い・儀礼・習慣)によって救われるのではなく、信頼を寄せる信仰によって、つまりイエスの名による信頼、信仰のみを説明するものでした。さらに、協議に集まる人々は熱心なユダヤ教徒です。彼らはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、そしてモーセに啓示されたただ一つの神を信奉しています。しかし、ペテロは聖霊によって語り、イエスというメシアを通してでなければ救いはないと説明します。

私たちには次のことが言えます。「この方以外には」と書かれているため、私たちはそれを重要視しなければなりません。実にイエスの名が大切なのです。

 

※ただ世の中にはこれ以外への信仰者が多くおられます。ここが厄介なことで、歴史はその為に争いを繰り返しています。私たちは、イエスが見せた尊い姿勢を見習い、決して争わず、どこまでも愛をもって関わる事です。他の信奉者も愛であれば共通する事も多く有るかと思います。ただ代償の愛、犠牲の愛は大きく変化を与えるものです。

 

4、要の石

家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。詩篇 118篇22節

ペテロが聖書の引用をします。ユダヤ人が捨てた石、その石を拾い重要な要石として使用される。その石が神と私たちを繋ぐものとなります。

 

5、現場で起きたこと

美しの門に座っていた男性が40代であることがわかりました。その男性はペテロたちと一緒にいました。また、弟子たちの話を聞いて信じた人々が5,000人以上にもなり、彼らの行動を無視することはできません。協議している人たちは何を恐れ心配しているのでしょうか。ここに重要な話があります。

 

  1. 男性にとって喜ばしい出来事が起きました。
  2. 世間にイエスの話が広まっていました。
  3. イエスの姿勢は人々に受け入れられる働きでした。
  4. 裁判における不審が広まっています。

協議会で話し合われたことや決議された事項には、正義と公義が欠如しており、都合の悪い事実を隠す必要がありました。そのため、彼らは「脅し」という手段を用いて行動しました。

彼らは、イエスの名によって語ったり、教えたりしてはいけないと強調します。

ですが、すでに以前の彼らではありませんでした。

その答えが「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」と現場で起きている事実を語ります。事実は隠せないのです。

 

中澤竜生