聖霊降臨日

ドレー画


 

聖霊降臨日に何が起こったのか?
聖霊降臨日は、復活祭(イースター)の50日後にあたる日曜日に祝われます。復活祭はイエス・キリストの復活を記念する祭りであり、聖霊降臨日はイエス・キリストが昇天した後、使徒たちに聖霊が降り注いだ出来事を祝います。
先ずは聖書を朗読しましょう。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」
‭‭使徒言行録‬ ‭2‬:‭1‬-‭4‬ 新共同訳‬
強烈な印象を与えた聖霊降臨日。その聖霊降臨日とは何かを分かち合いたいと思います。
先ず、聖霊とは新約聖書に数多く書き記されます。
その中でも、マタイによる福音書1章18節は有名な聖句です。
「イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
マタイの福音書 1章18節 聖書 新改訳2017
新約聖書は聖霊よって始まり、聖霊が信じる人に付与されて伝承は続きます。
旧約聖書の詩篇にはダビデが「聖霊を、私から取り去らないでください。」と詩っています。
ダビデは常に「神さまの霊」また「御霊」を意識し、人生を歩んでいたと考えられます。
本題に入る前に、聖霊によって身ごもったこととその関連性についてさらにお話ししましょう。この点において、聖書の冒頭で言及されるアダムとの比較が興味深いです。
神さまは土や塵を集めて人の形を作り、その鼻に命の息を吹き込まれたと書かれています。こうして人は生きる存在となりました。一方、イエス様の場合は、彼が誕生する時から私たちとは異なる存在であることを示唆しています。イエス様は塵から作られたわけでも、細胞から生まれたわけでもありません。代わりに、聖霊によって身ごもったということが紹介されています。
さらに、アダムは創造された時点で成人であり、アダムを助けるパートナーとしてイブが造られ近くに置かれました。
それと同じようにイエス様の場合、聖霊が彼に仕える存在であることが明らかになっています。イエス様が洗礼を受ける際、聖霊は天から降りてきて、「これはわたしの愛する子です」と声をかけられたと記されています。そして、彼は誘惑の山に行き、そこで誘惑に打ち勝ちます。
イエスの生涯は、祈りを通じて聖霊との密なコミュニケーションを持っていたことが示されています。
よって聖霊とはコミュニケーションが可能で、助けとなる存在として紹介されています。これは、イエスの生涯を通じて聖霊が彼を導き、支えたことを示しています。
"言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。"
ルカの福音書 12章12節 聖書 新改訳2017
"しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。"
ヨハネの福音書 14章26節 聖書 新改訳2017
"こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。"
ヨハネの福音書 20章22節 聖書 新改訳2017
以上が聖霊に関して書かれた約100箇所ある内の3箇所を紹介しました。
1,何が起こったのか?
A) 一つとなって祈る
復活されたイエス様は弟子たちに会われた。そして40日後にイエス様は昇天されました。そこで次の事を命じます。
そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」」
‭‭使徒言行録‬ ‭1‬:‭4‬-‭5‬ 新共同訳‬
この時より「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」使徒言行録‬ ‭1‬:‭14‬ 新共同訳‬
弟子たちは明らかに心に変化が起こっていた。
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
‭‭使徒言行録‬ ‭2‬:‭1‬ 新共同訳‬
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」」 ‭‭マタイによる福音書‬ ‭18‬:‭20‬ 新共同訳‬
  • 皆が同じ場所に集まって
  • 天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。 
  • 炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった
  • 皆が聖霊に満たされ
  • 御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた
B) 約束されたことを待つ
C) ペテロが聖書を紐どいたように、聖霊のみ声を聞き取る時間を過ごした。
2,聖霊降臨日を迎えるにあたり
イエス様が昇天されてから聖霊降臨日を迎えるまでの詳細な日常については、聖書には具体的に書かれていません。しかしこの期間において、弟子たちはおそらく祈りの時間を過ごすと同時に、重要な言葉を共有し合ったでしょう。私たちの日常生活でも、些細な出来事や会話がさまざまな問題や疑問を解決し、明らかにしていくことがあります。
この中でも、重要な人物であるマリアの証言は非常に大きな影響を持っていたと考えられます。マリアはイエスの母であり、彼の生涯を見守り、共に過ごした存在です。彼女はイエスの生誕から十字架の下まで立ち会い、また復活後の出来事にも関与していました。そのため、マリアが弟子たちとの間で語った言葉や証言は、イエスの教えや使命の理解において重要な役割を果たしたことでしょう。
マリアの証言は、イエスの生涯やメッセージをより深く理解する上での貴重な情報源であり、彼女の存在は信仰の基盤となる要素の一つです。彼女の洞察力や信仰は、弟子たちの中でも特に尊敬され、影響力を持っていたことでしょう。
そうした出来事によって、イエス様への見方が変わり、彼の目的を心底から理解するようになりました。聖霊の働きによって、かつて読んだであろう御言葉が思い起こされたのだと思います。聖霊は私たちに霊的な啓示を与え、イエス様の教えを思い出させてくださいます。
3,一人ひとりにとどまった
この言葉は非常に重要です。それは私たち個人に直接関わり、悟りを与えて助け導いてくださるものです。聖霊は一つの存在でありながら、複数の人々に注がれ、個別に対応して導かれるのです。したがって、聖霊降臨日は、一人ひとりが天を仰ぎ、個別に導かれていく日だったのでしょう。
4,一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした
聖霊に満たされる事はほかの国々の言葉で話す事ではないと言います。
ここは手段であって、弟子たちの口を用いたと考えます。
旧約聖書でも次の記事があります。
‭‭サムエル記上‬ ‭19‬:‭23‬-‭24‬ 新共同訳‬
サウルはラマのナヨトに向かってそこを去ったが、彼の上にも神の霊が降り、彼は預言する状態になったまま、ラマのナヨトまで歩き続けた。 彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた。このため、「サウルもまた預言者の仲間か」と人々は言った。
神の霊が降りるという箇所には、預言する状態が示され、神が直接意志を伝える場面が描かれています。同様に、使徒たちが異なる言語で語った内容を、外国人であっても聞き取ることができました。
その後、彼らが外国語を流暢に話せるようになったかどうかは明確には記されていませんが、重要なメッセージを伝えることができたことは確かです。
【付随】
異言を語ることは聖霊に満たされた唯一の方法ではなく、一つの方法です。聖霊に満たされる経験は、意図的に祈り、ひたすらに祈り続けることから始まります。私たちが心から祈り続けると、聖霊は私たちの内に宿り、導きと啓示を与えてくださいます。異言は特定の時期や状況で聖霊の存在と働きを明示するために使われた手段ですが、聖霊の満たしや導きを受けるためには、心から祈り続けて神とのつながりを深めることが重要です。
【まとめ】
イエスが昇天されてから、弟子たちは一つの屋根の下に集まり、継続的に祈り続けました。この期間には聖霊降臨日を迎えるまでの日常がありました。
多くの弟子たちは、イエスが語られたことを思い出しながら、その目的をより深く理解しました。彼らの理解は、イエスが昇天する直前に交わした時とは明らかに異なるものでした。彼らはイエスの約束を待つ間に、マリアたちからもう一度十字架上の出来事について聞き直したことでしょう。そこからは犠牲と愛のメッセージが溢れ出てきたはずです。彼らの悔い改めが、聖霊の到来を歓迎する準備となったのです。
こうして、聖霊伝が始まったのです。弟子たちは聖霊の力を受けて、イエスの教えを広める使命を果たすために立ち上がりました。聖霊の働きは、彼らに勇気と力を与え、多くの人々に福音を伝えることが可能となりました。聖霊の到来は、キリスト教の歴史において大きな転機となりました。
中澤竜生