君もそこにいたのか

君もそこにいたのか
先日、私は日本基督教団石巻栄光教会でお話をする機会を頂きました。午後からは、石巻市に避難しているウクライナ人の方々が教会を訪れ、正教会で祝われる復活祭を祝われたようです。正教会では私たちが祝うイースターとは一週間遅れで祝われるようです。詳細については以下に引用しておきます。
イースター礼拝が終わった後、イエス・キリストは復活され、50日間にわたり弟子たちに現れました。残念ながら、その50日間の詳細に関する記録は少なく、私たちはあまり知ることができません。しかし、昇天する直前にイエス・キリストは弟子たちに重要なメッセージを残しています。このことについては、別の機会にお話しすることにしたいと思います
今回は、もう少し受難週に活動されたイエスさまと、その周囲に起きたことをお話しします。
聖書の箇所は、ヨハネによる福音書11章47節〜53節です。
是非ともここでお読み下さい。
祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行っているというのに。あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。
このことは、彼が自分から言ったのではなかった。彼はその年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ。
お題は、「君もそこにいたのか」です。
英語ではWere You There 
翻訳しますと、
主イエスが十字架にかかったとき、あなたもそこにいたのですか?
主イエスが十字架にかかったとき、あなたもそこにいたのですか?
ああ、時に私を震え上がらせる、震え上がらせる、震え上がらせる。
主イエスが十字架にかかったとき、あなたもそこにいたのですか?
今日の問い掛けは、「あなたもそこにいましたか?」です。

2023/04/23のお話は、「あなたもそこにいましたか?」に誘うための前編となります。

タイトルは「ラザロの復活」です。


当日は、今回お話をしますテキストを下記に貼り付けます。

ご覧下さい。

A, ラザロの復活はよみがえりの予表です。(マルタの信仰告白とマリア)
次が時の経緯ですが、執筆者ヨハネが思い起こすように文章を書きます。
  1. ラザロが深刻な病気にかかったため、彼を心配した姉妹たちはイエスさまのところに使者を送りました。この家族は裕福であることがわかっています。
  2. イエスさまは、「この病気は死に至らないものであり、神の栄光が現れるためのものである」と答えられました。現代訳では「この病気は死で終わってしまうものではなく、」と訳されています。
  3. しかし、イエスさまがラザロの病気を神の栄光のためのものと語ったとしても、その重大性を軽視していたわけではないことが、聖書の5節に記された言葉からもうかがえます。「イエスは、マルタと彼女の姉妹、そしてラザロを深く(特別に)愛しておられたのです。
  4. 聖書の記述によると、イエスさまと一行は同じ場所に2日間とどまっていたとされています。なぜこのような滞在が必要だったのかは明確ではありませんが、前述の「栄光を受けることになります。」という言葉から、この出来事がラザロの病気と深く関連していたことがうかがえます。そのため、ラザロは病苦の末に逝く事は確かでしょう。
  5. イエスさまは弟子たちに、2日間滞在した後に次の日にユダヤに向かうと伝えられました。
  6. 以前、エルサレムで行われた宮清めの祭りの際、イエスさまは冬の時期にあるソロモンの回廊と呼ばれる場所で、「わたしと父とは一つです。」10:30 という言葉を発言しました。しかし、この言葉にユダヤ人たちは激怒し、イエスさまを捕らえて石打ちにしようとたくらんだのです。
  7. 当時のイエスさまの弟子たちは、このような危険な状況下でのイエスさまの言動と活動に心配をしていましたが、イエスさまは彼らを落ち着かせ、「今は大丈夫だ。」「闇の時ではない」と伝えました。11:9節〜11節
  8. イエスさまは「私たちの友人ラザロは眠ってしまった。」という言葉から、死が眠りという形で表現されていることがわかります。また、先にも触れたように、聖書ではラザロを「友人」と呼んでおり、彼とイエスさまとの親密な関係を示しています。
  9. イエスさまは、「私は彼を起こしに行く。」と宣言されました。この言葉は、ラザロが既に死亡している状況下でも、イエスさまが彼を復活させることを示しています。この言葉は、キリスト教において信じられる信仰の一つであり、イエスさまの奇跡的な力と神の力強さを表しています。
  10. 弟子たちは、ラザロが治り眠っていると思い、あえて危険なところに向かう必要はないのではと考えます。
  11. ですが、イエスさまは、ラザロが死にましたと宣言します。 11:14
  12. ラザロの死を通して、イエス・キリストが救い主であることが証明され、そのことを弟子たちが信じるためです。 15
  13. 危険な場所に向かう事からトマスは覚悟する。 
  14. ラザロが死んでから既に四日が経っていた。(腐敗が始まる)
  15. ベタニアに到着した時、マルタは村の外でイエスさまの安全を考慮しつつ出迎えました。
  16. マルタはイエスさまが癒しの力を持っていると信じており、またますます信仰を深めていました。 22節
  17. イエスさまの応答は、「ラザロはよみがえります。
  18. ユダヤ教では、終末に死者が蘇ることが広く信じられていましたが、サドカイ派はこの考えを否定していました。したがって、パリサイ派とサドカイ派は異なる教義を持っていましたが、イエスさまを排除するという点では同じ意見でした。
  19. イエスさまの有名なことば「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」 25節
  20. また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」ヨハネの福音書 11章26節   下線を引いている意味が重要です。
  21. マルタの信仰告白。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」ヨハネの福音書 11章27節
  22. マルタは、ユダヤの風習で一週間喪に服するマリアに、イエスさまが村の外で待っていると伝えました。
  23. マリアとその他のものが泣いているのをご覧になり、イエスさまは「霊」に憤りを覚え、心を騒がせた。33節
  24. 『霊に憤りを覚えた』と書かれた箇所には、いくつかの解釈が存在します。①悪魔や悪霊によって引き起こされた死に対する怒り、②罪による死に対する怒り、③人々の不信仰に対する怒り、④最愛の友であるラザロの死に対する怒りが考えられます。
  25. イエスさまは、ラザロの墓の前に立ち、友の死に涙を流していました。
  26. イエスさまは、生まれつきの盲目を癒す奇跡を行いましたが、死の前に同様の奇跡を行うことはできなかったとの否定的な言葉に、憤りを感じていました。それでも、イエスさまがこれから行おうとしている奇跡は、私たちが将来体験するであろう約束を見せるためのものであることに変わりはありませんでした。
  27. その石を取りのけなさい。」・・・・「彼らが信じるようになるために。私たちはいずれラザロのようによみがえるという信仰を持つことができます。この真理を強く伝えたかったため、筆者のヨハネは、私たちの信仰に「よみがえり」という希望を示しているのです。

次週に続きます。