支援するパウロとマケドニアの人々

お知らせがございます。 明日のバイブルカフェにつきまして、ZOOMのみのライブ公開となりますことをご報告いたします。 ご参加いただける皆様におかれましては、ZOOMのアカウントをご準備いただき、ご自宅からご視聴いただけますようお願い申し上げます。 また、皆様のご健康状態についても心配しております。現在は花粉の季節であり、また前日よりも気温が下がっておりますので、どうぞご自愛くださいませ。 私自身も追悼セレモニーを終えたことで、気の緩みなどもあって体調を整えるのに苦慮しております。そのため、今回はZOOMのみでのライブ配信とさせていただきましたことを、どうぞご理解いただけますようお願い申し上げます。
またバイブルカフェの様子は、日曜日の午後にYouTubeにて配信します。ご覧頂けると幸いです。
以上、ご報告申し上げます。何卒よろしくお願いいたします。

マケドニア

(写真)聖ヨハネ・カネオ教会(St. John Kaneo):オフリド湖畔にある、13世紀に建設された小さな教会です。湖畔に突き出した丘の上に位置し、湖畔を一望することができます。教会内部には、フレスコ画が描かれた聖堂があり、美しい装飾が見られユネスコの世界遺産に登録されています。

  1. アレクサンダー大王:古代ギリシャ時代の偉大な指導者で、マケドニア出身です。アレクサンダー大王は、紀元前4世紀にマケドニア王国を統一し、その後、東方遠征を行い、アジア、アフリカ、インドなどの広大な領域を征服しました。
  2. マザー・テレサ:アルバニア系のカトリック修道女で、インドで活動した人道主義者です。マザー・テレサは、世界中の貧困や孤児、病気の人々に対して、愛と奉仕を行い、1980年にはノーベル平和賞を受賞しました。

バイブルカフェ用 令和5年3月19日(日)
支援するパウロとマケドニアの人々
 
 
導入〜報告〜
 東日本大震災より2023年で12年。特に沿岸部にある村は大きく様変わりしました。先日、宮城三陸3.11東日本大震災追悼記念会が主催するセレモニーは気仙沼市の内湾と呼ばれる海のそば、NHKの朝ドラでも有名になった「おかえりモネ」でのラジオ配信ステージともなった場所、「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」をお借りしてセレモニーを開催しました。交流館の周囲には気仙沼卸市場、気仙沼商店街、新しく建てられた創意工夫して建てられたお店が並び、港からは気仙沼大橋を抜けて太平洋が広がります。交流プラザの前には遊覧船乗り場もあります。そのようなステキな場所に参加された住民の方がお話されたのが、活気をなくしつつある町つくりの構想でした。それは震災より10年間に計画された復興構想の矛盾が起きます。便利なところは直便利に開発され、不便な場所は計画途中で見込みを失う。その問題のただ中で人口の流失と過疎化も早まり、商業の生業も成り立たなくなっているとのことでした。さらに日常に欠かせないのが交通面です。どこに行くにもバス等を利用しますが、便利な社会と言われるところに行くには車がないといけないと言うことで、一部の復興住宅地周辺は殺風景で孤立感があるとのことでした。
こう言った話は各自治体でよく聞く話です。それと地方に向く関心度は年々低くなっていることは否めない。もう一つ言うならば3月11日を含める前後日には多くの方がいらっしゃいますが、それ以外ではほとんどの人が訪ねて来ることはなく生業が苦しくなる一方と語ります。コロナの事や世界経済の高騰によるあおりは苦しい人にとってはなおさらにです。そして日本だからこそ貧しさが主張できない。訴えられない人が増えている。見えない問題が多々あるわけです。
宮城県の場合、次の復興に取り組んでいます。
東日本大震災における被災地の一つである宮城県では、以下のような復興の取り組みが行われています。
  1. 住宅再建支援  多くの人々が住宅を失ったため、宮城県は住宅再建支援策を講じています。例えば、住宅の復旧・復興に必要な費用を補助する制度や、被災者のための公営住宅の整備、住宅ローンの利子補給などがあります。
  2. 産業再建支援  宮城県は、被災した農業や漁業、観光業などの産業を再建するため、様々な支援策を講じています。例えば、農業用灌漑施設の整備や、漁業資源の保全・増殖に向けた取り組み、被災地の観光地の復旧・整備などがあります。
  3. 震災による精神的なケア  宮城県では、震災によって心に傷を負った人々のために、カウンセリング支援やボランティア団体の活動の支援など、様々な精神的なケアを提供しています。
  4. 防災・減災の取り組み  宮城県では、今後同様の災害を未然に防ぐために、防災・減災の取り組みを進めています。例えば、防災情報の発信や避難場所の整備、耐震化や津波対策の施工などが挙げられます。

災害に関する支援の歴史要約
古代から現代まで、様々な時代や地域で災害に対する支援が行われてきました。
古代においては、災害に対する支援は、しばしば宗教的な意味合いを持っていました。
たとえば、※1古代ローマの大火災の際には、キリスト教徒たちが焼け残った家屋の修復や食料の提供を行ったことが知られています。また、キリスト教においては、聖書に基づいた救援活動が行われてきました。
※2中世には、キリスト教の修道会が災害に対する支援活動を行うようになりました。たとえば、フランシスコ会の創設者である聖フランシスコは、13世紀のイタリアで多発した飢饉やペストの際に、貧しい人々への支援を行いました。
また、※3中世ヨーロッパの修道院は、災害時には被災者の保護や救援を行うことが多く、今日でも多くの修道院が博物館や観光地として残されています。
※4近代においては、災害時には政府が支援活動を行うようになりました。19世紀には、イギリスにおいて初めて災害支援を行うための法律が制定され、他の国々でも災害時の支援体制が整備されていきました。また、19世紀後半には、赤十字社が設立され、国際的な災害支援が行われるようになりました。
※5現代においては、災害時には、政府や国際機関、非政府組織などが支援活動を行っています。例えば、国際連合の人道支援機関である
※6UNHCRは、世界各地で難民や被災者の支援を行っています。また、非政府組織の中には、医療支援や食料支援などを行うものもあります。

※2中世ヨーロッパの修道院は、災害支援に積極的に取り組みました。修道院は、キリスト教の教えに基づき、貧しい人々や孤児、病人などの世話をする場所として知られていましたが、自然災害や疫病などが発生した場合には、被災者への支援を行うことも重要な役割とされていました。
例えば、14世紀にヨーロッパで発生した「黒死病」は、当時の人々にとって大きな災害でした。この流行病に対して、修道院は病人の看護や食料配給などの支援を行い、多くの人々を救いました。また、自然災害に対しても、修道院は食糧や衣服、医薬品などを提供することがありました。
特に有名なのは、12世紀に起こった「リジャウルト地震」でした。この地震は、北イタリアの都市リジャウルトを襲い、多数の死傷者を出しました。しかし、この地震に対して、修道院が支援活動を行ったことで知られています。修道院は、緊急救援物資の提供や病院の設立、被災者の世話などを行い、地震の被害を少しでも軽減しようと努めました。
修道院が行った災害支援活動は、当時の社会にとって大きな貢献となり、修道院の役割を高めることにつながりました。また、修道院が行った支援活動は、今日の慈善活動や救援活動の基礎となっています。
※419世紀初頭、イギリスでは産業革命によって都市化が進み、その一方で工場労働者の貧困や劣悪な労働環境などが社会問題となっていました。また、自然災害による被害も多く、特に飢餓が深刻な問題となっていました。このような状況に対応するため、1834年には「貧困法」が制定され、貧しい人々への支援が体系的に行われるようになりました。そして、1846年には初めて災害支援を行うための法律である「災害救済法」が制定されました。この法律は、自然災害や飢餓によって生じた被害に対し、政府が救済活動を行うことを定めたものです。この法律に基づき、政府は被災地に食糧や医療物資を提供するなどの支援活動を行いました。また、この法律は後に改定され、地方自治体や慈善団体による支援活動を認めるようになりました。
このように、19世紀にはイギリス政府が災害支援に関する法律を制定し、被災者への支援活動が本格化しました。これにより、災害によって被害を受けた人々がより迅速かつ効果的に支援を受けられるようになりました。
※6UNHCR(ユーエヌエッチシーアール)とは
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、国連の専門機関のひとつであり、難民や国内避難民、無国籍者、帰還民、およびその他の人道的保護を必要とする人々の保護と支援を目的としています。
UNHCRは、1950年に設立されました。その後、多数の国や地域で紛争が発生し、多くの人々が自国を離れることを余儀なくされました。UNHCRは、こうした人々の保護と支援に努めています。
UNHCRは、難民の保護と支援のために、以下のような活動を行っています。
難民の保護と支援のための国際協力の促進
UNHCRは、各国政府や国際機関と協力し、難民に対する保護と支援を促進しています。また、国際社会に対して、難民問題についての正確な情報提供を行うことにより、国際協力を促進しています。
難民の保護と支援に必要な資金調達
UNHCRは、各国政府や民間団体からの資金援助を受け、難民の保護と支援に必要な資金を調達しています。また、個人からの寄付も受け付けています。
難民の救援物資の提供
UNHCRは、難民キャンプなどでの生活に必要な救援物資(食料、医療用品、衣服など)を提供しています。また、難民が自立できるように、教育や職業訓練などのプログラムを提供しています。
難民の再定住の支援
UNHCRは、難民が再定住できるように、各国政府と協力し、必要な手続きを行っています。
UNHCRは、難民問題に取り組む国際的な専門機関として、世界中の難民たちの保護と支援に貢献しています。
 
1, 古代ローマの大火災の際には、キリスト教徒たちが焼け残った家屋の修復や食料の提供を行った事が支援の発端とされる
64年のローマ大火災は、ローマ帝国の首都であるローマ市街地のほぼ全域が焼失した大火災でした。当時の皇帝ネロは、火災の責任をキリスト教徒になすりつけ、彼らを迫害しました。しかし、キリスト教徒たちは迫害にもかかわらず、被災者の支援を行いました。
キリスト教徒たちは、焼け残った家屋の修復や食料の提供を行いました。彼らは、自分たちの教えに基づいて、貧しい人々や被災者を支援することが大切であると信じていました。※当時のキリスト教徒たちは、ローマ帝国の法律に反して、貧しい人々に施しを行ったり、病気の人々を看病したりすることが多かったとされています。
キリスト教徒たちの支援活動は、ローマ市民たちから高い評価を得ました。そのため、当時のローマ帝国政府も、キリスト教徒たちの支援活動を奨励するようになりました。また、この大火災の後、ローマ市街地の再建が行われることになり、キリスト教徒たちも再建に参加しました。
以上が、古代ローマの大火災の際にキリスト教徒たちが行った支援活動についての一部です。このような支援活動は、キリスト教の信仰に基づくものであり、被災者の救援や復興に向けた活動が、今日に至るまで続いている一つの要因となっています。
 
2, 当時のキリスト教徒たちは、ローマ帝国の法律に反してとは
当時のローマ帝国では、キリスト教が合法的な宗教ではなく、キリスト教徒たちはしばしば迫害を受けていました。キリスト教徒たちは、自分たちの信仰に基づいて、貧しい人々や病気の人々を支援することが多かったですが、これは当時のローマ帝国の法律に反するものでした。
当時のローマ帝国の法律には、公式な宗教に属さない信仰は許されておらず、キリスト教徒たちは非合法的な宗教集団として扱われました。また、貧しい人々や病気の人々に施しを行うことも、当時のローマ帝国の社会制度に反するものでした。当時のローマ帝国では、貧しい人々は自分たちで生活を維持しなければならず、病気の人々も自分たちで治療を受ける必要がありました。
しかし、キリスト教徒たちは、自分たちの信仰に基づいて、貧しい人々や病気の人々を支援することが必要であると考えました。そのため、彼らは当時の法律や社会制度に反する行為を行うこともありました。これが原因で、キリスト教徒たちはしばしば迫害を受け、拷問や処刑などの厳しい刑罰が課せられることもありました。
 
3,エルサレム教会に飢饉が起こる
使徒の時代、エルサレムの教会に献金を送る動きが出たのは、エルサレム教会の信徒が困窮していたためでした。この動きは、使徒言行録に詳しく記録されています。
使徒言行録4章32-35節によると、最初のキリスト者たちは皆一つの心と魂を持ち、財産を共有していました。また、財産を持っていた者たちは、それを売ってその代金を使って、貧しい兄弟たちの世話をし、共同体全体のために必要な物を購入していました。
しかし、この共有のシステムは、信徒が増えてくるにつれてうまく機能しなくなっていきました。エルサレム教会の信徒たちは、特に困窮しており、食料や衣服、住居に困っていました。そこで、他の地域の信徒たちは献金を送ることによって、エルサレム教会を支援することにしました。
支援に至った切っ掛けがありました。
使徒言行録11章27-30節によると、アガブという預言者が、「全世界に大飢饉が起こる」と預言したことから、アンテオケの教会の信徒たちは、献金を集めてエルサレムの教会に送りました。この献金は、エルサレム教会の信徒たちの生活を支援するために使われました。
 
アガブは、使徒言行録11章27-30節、21章10-11節に登場します。最初の記述では、アンテオケの教会で預言を行っていた預言者の一人として言及され、飢饉が起こることを預言しました。彼の預言が的中したことから、アンテオケの教会の信徒たちは献金を集め、エルサレム教会の信徒たちを支援しました。2つ目の記述では、アガブは使徒パウロを警告するために預言を行いました。パウロがエルサレムに戻ると、彼が迫害を受けることが予言されました。この預言が的中し、パウロは捕らえられることになりました。
 
4,エルサレムにおける飢饉が何故起こったのか。
エルサレムで起こった飢饉は、気候変動によるものではありません。飢饉の原因としては、ローマ帝国による支配下にあったエルサレムでの反乱や戦争、さらには病気などが挙げられています。
具体的には、66年から70年にかけて、ユダヤ人がローマ帝国に反乱を起こし、ローマ軍との戦争が続きました。この戦争で、エルサレムの農地や食糧供給ルートが破壊され、多くの人々が飢えに苦しむことになりました。また、戦争と同時期に流行した疫病によっても、多数の死者が出ました。このような劣悪な要因が重なって、エルサレムでは飢饉が起こり、多くの人々が餓死する悲惨な状況が生まれたとされています。
あと、付随として「終末論」「メシア論」の来訪も影響があると考えられる。気候変動による影響も外せません。
【資料】
エルサレムでの飢饉や反乱、戦争については、主に聖書の新約聖書の「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」、「使徒言行録」、また、ユダヤ史家ヨセフスの『ユダヤ古代誌』などが記録として残されています。
特に、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には、エルサレムでの反乱や戦争、そして飢饉について詳しく記されており、現代の歴史研究にも重要な資料となっています。
 
5,支援金を集めようと言いだしたのはコリントにある教会でした。
コリントにおける教会ははじめに献金を勧めておきながら準備ができていなかった。それどころか「まごころ」をもって献げる事ができていなかった。2コリント9章は、パウロがコリント教会に対してエルサレムの貧しい信徒たちに対する献金を募るように呼びかけます。その時に引き出されたのがマケドニアにある教会でした。
 
6, 第2コリント人への手紙 8:1-5では、パウロは、マケドニアの信徒たちが豊かでないにもかかわらず、自分たちの財産を惜しみなく提供していることに称賛します。
¹さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。²彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。³私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、
⁴聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。
₅そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。     
コリント人への手紙 第二 8章1~5節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
 
第2コリント人への手紙8:1-5、パウロはマケドニアの教会が、自分たちに対して行われた援助の要請に応じて、自らの財産から寄付を行っていたことを伝えています。彼らは、自らが苦しい中にあっても、喜んで施しを行い、さらには自分たちに与えられたもの以上に施しを行うほどの心を持っていたと述べられています。
パウロは、このマケドニアの信徒たちの行動を、コリント教会に伝えることで、彼らにも同じような心を持って施しを行うことを促しています。パウロは、信仰と愛に満ちた行動が、真の豊かさをもたらすことを示し、自らの教会が、マケドニア教会と同じような寛大な心を持って奉仕することが望ましいと説くのでした。
この箇所は、貧困の中にある人々に対する施しの大切さや、自己犠牲の精神、信仰と愛に基づく行動の重要性を教えるものとして、キリスト教の教えにおいても重要な位置を占めています。
 
7,当時のマケドニヤ事情とは
当時のマケドニアは、ローマ帝国の支配下にありました。経済的には、穀物や木材、金銀鉱物などの資源が豊富で、貿易が盛んでした。しかし、政治的には不安定であり、内戦や外敵による攻撃に悩まされることが多かったようです。また、マケドニアには多くのユダヤ教徒やギリシャ人が暮らしており、キリスト教も広まっていました。パウロはマケドニアを訪れ、テサロニケ、フィリピ、ベレアなどの都市で伝道を行い、多くの人々をキリストに導いたとされています。
とても厳しい社会情勢の中で、マケドニアの信徒たちは自らの財産を惜しまず、他人に施しを行う寛大な心を持ち、パウロの教えを実践していたとされています。コリント教会に向けての手紙でも、マケドニアの信徒たちが示した精神を賞賛し、彼らの行動を見習うように促しています。
パウロはまた、寄付の方法として「心からの喜びとして与えること」を勧めています。彼はまた、寄付を行うことで恩恵があること、つまり神によって豊かに報われることを約束しています。
 
8,困難に立ち向かう結束性を促す
エルサレムの貧しい信徒たちに対する献金の背景には、初代教会の時代において、ローマ帝国による迫害があり、経済的に困窮していた人々が多かったという事情がありました。したがって、パウロは、コリント教会がエルサレムの貧しい信徒たちを支援することによって、初代教会全体の結束を強め、支援を必要としている人々を助けることができると考えていました。
総じて、2コリント9章は、信仰と行為、恵みと慈善の関係について教えており、私たちが喜んで与えることが、神の目には非常に大切であるとされています。
 
【大切な聖書のことば】
私が伝えたいことは、こうです。わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
コリント人への手紙 第二 9章6~7節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

【参考資料】
新約聖書
1,『使徒行伝』:キリスト教の最初期の歴史を記した文書で、当時のローマ帝国におけるキリスト教迫害の記述が多数含まれています。
2,『ヨハネの黙示録』:キリスト教徒に対するローマ帝国による迫害を描いた預言書です。
古代のキリスト教史家による記録
3,エウセビオス『教会史』:4世紀に書かれた、キリスト教史に関する最初の包括的な歴史書で、迫害についての記述が含まれています。
4,トゥルトゥリアヌス『教育について』:2世紀に書かれた、キリスト教についての著作で、当時のローマ帝国におけるキリスト教迫害についての記述があります。
5,考古学的証拠
ローマ帝国時代の墓地や遺跡から見つかった、キリスト教徒が処刑されたことを示す痕跡や記念碑などがあります。
 
 
 
2023年3月19日 日曜日
キリスト聖協団仙台宣教センター
中澤竜生