過ぎ越しの祭りの前の夕食時において

2023年2月26日(日)10時〜 バイブルカフェ 収録

 

過ぎ越しの祭りの前の夕食時において 

 

 

   本日お話をします「最後の晩餐」とは、イエスさまが捕らえられる直前の事で、除酵祭の日、備え日と書いており、その日の夕食時間となります。夕食後ゲッセマネにて愛弟子と祈り夜中過ぎには神殿に仕える兵士たちがイエスさまを捕まえに来ます。

それが書かれている物語の始まりは、マルコ14章12節~16節・マタイ26章17節~19節・ルカ22章7節~13節です。そしてユダヤ教では安息日と言われる前の備え日木曜日から苦難が始まるのです。 

 

1、奇妙な事が起こる。

それが下記の聖書箇所となる。

"過越の子羊が屠られる、種なしパンの祭りの日が来た。

イエスは、「過越の食事ができるように、行って用意をしなさい」と言って、ペテロとヨハネを遣わされた。

彼らがイエスに、「どこに用意しましょうか」と言うと、

イエスは言われた。「いいですか。都に入ると、水がめを運んでいる人に会います。その人が入る家までついて行きなさい。

 そして、その家の主人に、『弟子たちと一緒に過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っております』と言いなさい。すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこに用意をしなさい。」 

ルカの福音書 22712節 聖書 新改訳2017

 

別の箇所では、

"イエスは言われた。「都に入り、これこれの人のところに行って言いなさい。『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と先生が言っております。』」"

マタイの福音書 2618

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 

   マタイの個所を読みますと、イエスさまが事前にお話をしていたようにも思われます。現在の私たちはここから背景を読み取る必要があります。よって今回はマタイが書いた記事を受け止めお話を進めたいと思います。ここで重要なのは「イエスさまが十字架にかかることを前提として展開している」と言うことです。

 

2、二階の大広間で最後の晩餐をする

33年間の生涯でもっとも大切とされている最後の晩餐。この出来事を後世まで語り伝えなさいと命じます。まさに伝承です。そのステージの場所となったのが青年マルコの家でした。現代で言えばあらかじめ「時が近づいたら」という予約がされていた座敷です。その応答にも応える事ができた「もてなし」の習慣には学ぶところがあります。  

 

3、夕食が始まります

聖書の順番は下記に記します。

 

①夕食時間

マルコ14:12~16・マタイ26:17~19・ルカ22:7~13

②誰が一番偉いのか論争 

マルコ14:7・マタイ26:20・ルカ22:1415~16,24~30

③洗足の時

ヨハネ13:1~20

④ユダの裏切り

マルコ14:18~21・マタイ26:21~25・ルカ22:21~23・ヨハネ13:21~2324~30

⑤ペテロつまずきの否定

マルコ14:27~30・マタイ26:31~35・ルカ22:31~34・ヨハネ13:31~38

⑥犯罪人の一人となる予告と逆風が吹く知らせ

ルカ22:35~38

パンとぶどう酒の記念

マルコ14:22~25・マタイ26:26~29・ルカ22:17~20

1コリント11:23~26

イエスさまの別れのことば

ヨハネ14

 

 

4、誰が一番偉いのかで論争がはじまる

イエスさまにとって一番大切な時にくみ取ることができない弟子たちに心が痛みます。やはり弟子たちにとってイエスさまはユダヤの王(政治的指導者)というイメージでしかなかったと考えられます。故に争いが起きないようにイエスさまが身をもって最期に伝えようとしました。仕えようとする精神を学びましょう。

 

 

5、ユダの裏切りが夕食時に起こります。

ユダがイエスさまを売った決定的な原因は次の箇所となります。

 

弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った。「どうして、この香油を三百デナリで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が盗人で、金入れを預かりながら、そこに入っているものを盗んでいたからであった。イ  エスは言われた。「そのままさせておきなさい。マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。貧しい人々は、いつもあなたがたと一緒にいますが、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。」

ヨハネの福音書 1248

 

ユダは、イエスさまをメシアとして受け入れず、当時他にもいた指導者のひとりとして受け入れていました。ですからイエスさまから何度かの指摘を受けたユダはイエスさまをリーダーとする事を見限ったのでした。ユダの仕事は取税人であったのではないかと言われています。ですからお金にたいする執着心は強く、さらに不正も行っていた事で下記のような状況が発生したと考えられています。

 

ユダは行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡すか相談した。彼らは喜んで、ユダに金を与える約束をした。ユダは承知し、群衆がいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会を狙っていた。 

ルカの福音書 2246

 

イエスさまとの関わりがもてなかったユダであった。それに改心の余地もなかった。これがユダの心でした。

 

しかし見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓の上にあります。人の子は、定められたとおり去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。」そこで弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんなことをしようとしているのかと、互いに議論をし始めた。 

ルカの福音書 222123

 

ユダは大切な判断を自分で決めた。それをサタンは弱さに憑きまとった。ココが肝心だと考えます。私たちにも弱さがあります。あるいは、改心するにもそれができない事情があるかも知れません。ですがユダのようにならないためにもイエスさまのお話に耳を傾けましょう。ペテロのように。

 

   以上のように、最後の晩餐には色々と詰め込まれた大切な教えがあります。これらを思い出す式であって、また死に向かわれるイエスさまを思い出す大切な時間となりますように。