特別な場所に持参するもの



ダウンロード
特別な場所.pdf
PDFファイル 220.4 KB

 2. 特別な場所に持参するもの

 「クリスチャンとして生きる」とは如何なることでしょうか? 日本で、イエスさまを神さまとして認める、ここまではさほどの問題はないようです。ですが生き方を提示されますと困惑される方が多いのはご存じだと思います。つまりクリスチャンにはユダヤ人と同じように規則があるのです。規則から生じる規範する生き方によってクリスチャンとしての質が求められます。つまり模範的なクリスチャンであるのか、そうでないかという質です。

その基準は、おのずと建設的教会、有機的教会においてみられてしまうものです。指導者による励ましと提 案、諭されるなどです。

残念なことですが、さばく言葉で指摘されることもあります。

 私たちは、クリスチャンとしていかに生きていくのかが示されます。 聖書の一節には、教えなさい。弟子としなさい。勤勉で怠らず、とかが書いてあります。

さらに、「”俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。"」 テモテへの手紙 第一 4章7節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 クリスチャンとして生きて行く事をイコール、宗教儀礼に則って生きて行くと考える方もいます。先日テ レビにて熱心なイスラム教徒の父と、日本に住む娘さんとの親子問題が放送されていました。娘さんは、日 本でモデルの仕事に就きます。その事を知った父は、親子の縁を切るという厳しい言葉を娘に言い放ちま す。どうしても理解してもらえない娘は、おばあちゃんに身を寄せます。ある日、おばあちゃんとその娘 は、父親が経営する靴屋さんにお客として訪ねます。おばあちゃんは、強引にも娘と話をさせる方向にもっ ていったのです。 熱心なイスラム教徒である父は、娘が誕生する時から、神さまに向かって「この子が問題なく誕生しますよ うに」「その為ならどんな犠牲もいといません」と祈りました。その他にも娘のために熱心に神さまに願い 祈ったのです。その事をおばあちゃんにはお話をしていました。それがこの出来事を通して娘との縁を切る という厳しい言葉で片付けた。娘もわからずやの父親に向けて怒り、おばあちゃんの前で「私の方こそ親子 の絆を切る」と言い出します。それを聞いた、おばあちゃんは2人の中を割って激怒したのでした。孫に は、「頭を冷やしな」「冷静になりな」と、父親には「あれだけ娘について神さまに祈り、ここまで守られ て来たのに」「お前はイスラム教に反しているという事だけで縁を切ると言い張る」「それは神さまへの冒 涜ではないのかい」「ここまで守られて来たのに」「お前の方から神さまとの約束を破るつもりかい。」「神 さまがお前にそんなことを教えるはずがない。」と言ったのです。 おばあちゃんの神観は、私から観て見事と言う他に言葉がありません。的を射抜いた答えです。 儀礼と規律は大切ですが、その時の一番大切な事を見落としますと、神様が人間に与えた根本的な愛から外 れてしまうのでは考えます。

 

ミカ書もその事を言っているのだと思います。

何をもって、私は主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のささげ物、一歳の子 牛をもって御前に進み行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背 きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。 主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。 それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。 ミカ書 6章6~8節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

 ユダヤ教と宗教があって、そこには規則である律法があります。それと人間が定めた儀礼もあります。私 たちは、ただただ生け贄をもって参加する気持ちになっていませんか。ただただ習慣であるために祭儀を行 う、ミカ書が忠告する心になっていませんか。 私たちが、聖書の神さまを愛していると言うなら、一日いちにちを大切に、毎日が神さまに祭儀を行う者と なって、イエスさまが律法は愛ですと言うのですから、聖書の愛を意識して生活を送る必要があるのではと 思うのです。その愛に犠牲が伴うならば、イエスさまの十字架を思い起こしつつ献げものとしましょう。

 

「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽く し、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』 これが、重要な第一の戒めです。 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要で す。

この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」

マタイの福音書 22章36~40節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会