ギデオンの召命

本日は、収録を先ほどですがYouTubeに載せました。

士師記の序章として語っています。

それと、YouTubeで語っているものとは別の内容で

テキストとして下記に貼り付けましたので朗読下さい。

皆さまの平安を、私たちの主に祈りつつ。

中澤竜生



士師記6章11節〜24節 ギデオンの召命

 

爽やかな空気が秋を身近に感じさせる時期となりました。

読書もすすみますね。

皆さまはお変わりないでしょうか。

今週は、先週に続き士師記に登場するギデオンに関するお話を致します。

お話のお題は、神さまがおられるので実現できるのです。

とても長いお題です。

今回もそこを主軸として文章を書きます。

 

1,ギデオンが選ばれたわけ

前回も書きましたが、イスラエルをまとめるリーダーはいません。モーセやヨシュア、アロンなどの神がかり的なリーダーがいないことで、こんなにもまとまりがなくなるとは驚きです。さこに治める領土だけは広く手の付けようがない状況です。

出エジプト、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記の朗読を続ける中、徹底的に教えられ、身につけてきたであろうその教えも、指導者がいなくなることで廃れる。そのあげくにカナン全域にあった神々とその週間を生活に取り入れていく。数十年ではそこまでの逸れとはならないが、さすがに100年以上ともなると伝達、伝承は希薄になる。

それが人類の歴史でもあることが証明している。同じ過ちは繰り返す。

しかし、教えは無くなった訳ではありません。わずかであっても残されている。

私たちが手にする聖書もその一つです。

聖書もただ持っているだけでは何も起こりませんし、気付きもしないでしょう。

ギデオンも同じで、ギデオンが御使いと語るのには、神さまとギデオンが接点を持つ心があったからだと思うのです。

 

それは何か。

 

'ギデオンは彼に言った。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました。」 ' 【共同訳】士師記 6:13

 

ギデオンは、なぜイスラエルはこんなに弱くなったのかと歴史を振り返っていたようです。また、神さまの偉業の話を思い起こすなかで、神さまはなぜ私たちを見放したのだろうかとも考えていたようです。原因を探りますがわからず、ただ神さまは私たちを見放したと世間が言うことばをギデオンは考え、それどころか過去の栄光となる史実はないかも知れないと疑うイスラエル人の思いに負けそうになっていたようにも思えます。人々は恐ろしさの成り行きで自分にとって魅力のある神々を身近に置き、責め立てる民族に争いを避けようとする必死な民族を垣間見た。ギデオンはそんな周囲にのみ込まれることだけは避け、過去にあったイスラエルの神さまに必死に問い掛けていた。それだからあのような問い掛けがあったのでしょう。

 

A なぜ・・私たちにふりかかった。

B 驚くべきみわざはなぜ起きないのか。

C なぜ見放した。

 

このようにして読むと何かがおかしいと思いませんか。

 

次の御言葉を読みましょう。

 

'主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」 彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」 ' 【共同訳】士師記 6:14-15

 

「あなたのその力をもって」と云われた意味はなんでしょうか。この箇所の解説はありません。

ギデオンの父ヨアシュはバアルの祭壇管理者です。そこからどうやって信仰を伝達ができましょうか。

このような似通った状況はアブラハムやモーセも同じでした。モーセの場合は伝承を聞く環境はあったようですが主と出会って変えられていきます。

「わたしがあなたを遣わす」決してギデオンの力ではなく、彼に必要なのは神さまを信じる力だと思います。ギデオンはイスラエルの神を信じていた。それと史実の出エジプトの奇跡も信じた。「その力をもって」とは彼の信仰を指していたと思われる。

けれども、ギデオンは自分の力と一族の人数や武力を思って飲み込めない状況にあった。

 

 

次の箇所を朗読しましょう。

 

「主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」 彼は言った。「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください。 どうか、わたしが戻って来るまでここを離れないでください。供え物を持って来て、御前におささげしますから。」主は、「あなたが帰って来るまでここにいる」と言われた。 ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパンを調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差し出した。 神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」と言った。ギデオンはそのとおりにした。 主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。」  士師記 6:16-21 新共同訳

 

 

 

2,ギデオンはしるしを求める。

主が「あなたと共にいるから」と云われても、ギデオンには自信がありません。ですが歴代の預言者は主が共にいたので預言が成就した。つまりギデオンが御心を実現するためには主が共にいる保証が必要でした。

ギデオンは願います。それはアブラハムがしたように祭壇を築き捧げ物をする行為です。そこから神聖な火(しるし)を願い実現しました。これは史実の伝承をしっかり受け止めてきたギデオンの信仰でした。

 

"わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」"

マタイの福音書 28章20節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 

私たちも自分の心を探って頂き、どこに間違いがあり、何が正しいのかを探らせて頂きましょう。

それと、私たちには主が共にいて、そこに気付かせ頂きましょう。

 

 

バアル礼拝とは

イスラエルの民が取り込まれていったバアル礼拝とは、おおよそ次のようなものであった。カナンの地には、多くの男神女神が存在し、それぞれの役割を演じていると信じられていた。筆頭神は、エルと呼ばれる神であり(聖書の神も「エル」と表記されることがあるが、それとは無関係)、その妻が女神アシェラである。しかし筆頭神とは言え、彼らは天候と農業を司るバアル神の背後に隠れた存在であった。このバアルの寵愛一方、バアルに敵対するのが、不作と不妊をもたらす神ムトである。このムトは、バアルを殺し、そのからだを地の四隅に散らしてしまう。しかし、死んだバアルはやがてアナトとの性的交わりによって蘇豊穣カナン人たちは、季節の移り変わりという自然現象を、バアルの死と蘇りの物語として理解した。彼らにとっては、4月が終わって乾期に入ると、バアルはあたかも死んだように思えた。そのバアルを蘇らせる必要がある。農夫たちは毎年、秋の始めに新年祭を祝い、王や神殿娼婦がバアルとアナトの物語を演じることで、バアルの蘇りを願い、その年の豊穣を祈願したのである。カナンの地にはバアルの神殿が各地に建てられており、そこでは神殿娼婦たちが神々の性交渉の様子を実際に演じていた。農夫たちもその淫行このような恐るべき偶像礼拝に、イスラエルの民は飲み込まれていった。飲み込まれなかった者でも、宗教混合に陥り、ヤハウェを礼拝しながら、バアル神殿に詣『日本人に贈る聖書ものがたり』(中川健一著)第二巻『契約の民の巻』より