令和4年9月25日(日) 午前0時公開です。
聖書箇所:士師記6章
鼻風邪ですから、話しにくそうな声になっています。
お見苦しい状況ですがご容赦ください。
下記には後ほどテキストを貼り付けますので一緒にご覧下さい。
イスラエルの子らは【主】に叫び求めた。
士師記6章1節〜6節
「イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った。主は彼らを七年間、ミディアン人の手に渡された。 ミディアン人の手がイスラエルに脅威となったので、イスラエルの人々は彼らを避けるために山の洞窟や、洞穴、要塞を利用した。 イスラエルが種を蒔くと、決まってミディアン人は、アマレク人や東方の諸民族と共に上って来て攻めたてた。 彼らはイスラエルの人々に対して陣を敷き、この地の産物をガザに至るまで荒らし、命の糧となるものは羊も牛もろばも何も残さなかった。 彼らは家畜と共に、天幕を携えて上って来たが、それはいなごの大群のようで、人もらくだも数知れなかった。彼らは来て、この地を荒らしまわった。 イスラエルは、ミディアン人のために甚だしく衰えたので、イスラエルの人々は主に助けを求めて叫んだ。」
士師記 6:1-6 新共同訳
今日は士師記に登場しますギデオンについて、その導入のお話をします。
士師記の時代は約200年から300年続いたと言われています。
その前にはモーセやヨシュアといった有力な指導者がいて、
民族をまとめていましたが、士師記になりますと、
分配された土地にイスラエルは部族ごとに別れて住み、
この時代には指導者もいない。結局団結力も低下し、
さらに遊牧民などとの接点を持つ事で、
イスラエル人、選民と言われる特徴が薄れてきます。
その理由として、遊牧民が信奉する神々が生活に密着します。
実にヨシュアが公言したことは、イスラエル内にズレが起こったからだと考えます。
14 あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。
15 もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
6 民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。
ヨシュア記24章14節〜16節 新共同訳より
エジプト寄留時代から、荒野における実体験を語る指導者がいなくなることで、
選民となるはずの教えが希薄となる。
それが士師記です。
私たちの時代でも、戦争体験された方々がいなくなる事で争いの危機が押し迫るかのような事態とにています。
先ほども言いましたが、指導者がいない中、
世俗に流されるイスラエル人は、長い時間をかけて分断と交流を失います。
あげく他民族の往来によって、内部をさらけ出し、
略奪を欲するままにさせていきます。
私は士師記の前半に触れず、簡略的に士師ギデオンの話を綴ろうとしています。
是非とも、なぜ次々とトラブルが起きたのか。
あの力強いイスラエルはどうしたのかについては、しっかりと聖書を読みこなしてほしい。
1,七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。
聖書には、イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを行った。そこで、【主】は七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。士師記 6:1 と記されている。
a 主の目に悪とは何を行ったのでしょうか。その結果、b 七年間もミディアン人に苦しめられたとは何でしょうか。
a 主の目に悪とは何を行ったのでしょうか。
そのには詳細が書かれていません。ですが、イスラエル人の心配は過去から察することができます。おそらくミディアン人(モーセの妻チッポラの民族)やアマレク人と東方の人々、つまり遊牧民族が信奉する神々や教えと習慣であろうと考えます。
先日、テレビで元統一教会の会見が行われ献金に関する取組を説明しました。また2009年以降の公のトラブルは発生していないと説明。あるコメンテーターはこの会見を茶番だと言い放しました。続いて言います。このような会見で献金の仕組みやトラブルがないという説明が重要ではなく、元統一教会の教理が変わらないと問題は起こり続けると指摘します。つまり信じている事の教えの訂正がないと変わらないという事です。その教えを説いているのが、彼らが信奉する教祖です。私たちはこれを偶像(アイドル)と言います。
旧約聖書では姦通したと表現されることがあります。それは密接な関係をもったとも言えます。
今までの教えから新たな教え、そこに馴染んでいく。そうしますと日常が変わる。
はじめは些細な事でも、積み重ねると大きく外れたのがイスラエル人の的外れ(ハマルティア)罪となっていた。
そう考えますと怖いですね。
最近、ロシアでは徴兵が執行されました。しかも年齢も関係なく徴兵されています。ある人はウクライナへと送り込まれるのでしょう。どんなにデモを起こしても変わりません。プーチンの決めた事は絶対です。徴兵された人々は不安と絶望に苛まれている事でしょう。またプーチンが選ばれたこと、戦争を引き起こすロシアという国の偶像に何ら抵抗もしなかったことに悔やまれるはずです。一方で「もし」ですが、戦場に行って死んだとなると、残された家族は殺した相手を呪うはずです。こうして勝手な正義を掲げて泥沼に陥るのも戦争です。決して人間を信奉するようなことがあってはいけません。むしろ間違いを犯しやすいのが人間ですから、私たちは国のリーダーのために、真剣に神さまに祈る必要があるのです。
"人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。"
ローマ人への手紙 13章1節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
"そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。"
テモテへの手紙 第一 2章1節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
主の目に悪を行ったと書いてあることは、はじめは一人ひとりのズレだったかも知れません。それが地域全体、民族へと広がり約束された教えから逸れた様子が見えます。ヨシュアはその事をいち早く気づいていたのかも知れません。
b 七年間もミディアン人に苦しめられた
七年間の苦しみとは長いですね。その苦しみとは、すべてを略奪される事で貧しさと飢えで苦しんだ。
ミディアン人の勢力がイスラエルに対して強くなったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟や洞穴や要害を自分たちのものとした。イスラエルが種を蒔くと、いつもミディアン人、アマレク人、そして東方の人々が上って来て、彼らを襲った。彼らはイスラエル人に向かって陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで荒らして、いのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばもイスラエルに残さなかった。実に、彼らは自分たちの家畜と天幕を持って上り、いなごの大群のように押しかけて来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。彼らは国を荒らそうと入って来たのであった。こうして、イスラエルはミディアン人の前で非常に弱くなった。士師記 6:2 〜6
それに男性であれば命を奪われるという恐怖に苛まれたことでしょう。そこで彼らはとうとう神さまに救済を求め始めます。
すると、イスラエルの子らは【主】に叫び求めた。 士師記6章6節
今日はここまでに致しましょう。
お復習いとして、
1,主の目に悪とされたことは何か
2,私はどこに向けて助けを求めるのか
もう一度考えて見たいと思います。
お祈り
愛する主イエスさま。
士師記を通じて考えました。
ヨシュアが最期に語った内容は、私にとっても大切です。
しっかりと宣言したいと思います。
「仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」
また、信じるお方の名前をしっかりと告白し、教えに熱心に取り組もうと思います。
また、私の住む国のリーダーのためにも祈ります。み心が行えますように。
新しい一週間が始まります。過ぎ去った週が守られたように、
それ以上に守り、恵みが豊かにありますように。
弱い人、貧しい人にも祝福がありますように。
主イエス様、来て下さい。世界に平和を!
イエスさまの御名によってお祈り致します。 アーメン
中澤竜生
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