伝道とは

2022年6月19日(日) 0:00〜 放送開始
「伝道とは」
マルコ福音書16章15節、16節
伝道をする。伝道をしない。と言うのではなく、クリスチャンがイエスさまを愛している日常から自然に現れる日常の姿から発信されるものでそれを伝道とする。
また、日常があって、相手も聞く姿勢があって、何気ない会話にでも無償の愛の話ができる関係。それを伝道と言います。
人間関係がない中でイエスさまを伝えられても理解できるものでしょうか。
たとえ聞いてくださったとしても、そこから継続して信仰生活するにしても信頼関係ができていなければ継続は難しいでしょう。
ですから、伝道することは語って終わり、知らせて終わりではなく、人格的交流の継続性から正しく伝わるのです。
これを個人伝道と言います。
伝道集会の大半は昔から教会という施設で実施されていました。そこでは教師が聖書のお話をして複数に向けて福音を伝えます。
信じてみようという決心が起こるのもことの時です。ですから信仰の入り口であって、そこから信仰の形成、聖書を学ぶという日々が起こります。
ここから信仰の成長と継続があればいいのですが、大半は人間関係ができていないことで「つまずき」が起きる。
私が知る限りにですが、教会は共同体組織の中で「〜しなければならない」義務をさりげなくも含めて押し付けられるのが原因かと考えます。
これは人間関係を育む時にあり得ない関係だとわかります。また親密な関係の親子関係であってもおかしくなるはずです。
伝える作業には、人格を尊重し互いの向上につとめる中で成立するのです。
また伝え方によっては再び聞く事がない閉ざされた関係を築いてしまうのです。注意をしましょう。