すべて疲れた人、重荷を負っている人

マタイによる福音書11章20節〜30節の内容をお話しています。

ガリラヤ宣教での出来事です。

イエス様の奇跡はガリラヤ周辺、近郊にまで及んでいました。

特に死者が蘇ることなど聞いた事がない。

既にメシアと呼ばれるには相応しい出来事でした。

なのですが、地名に書かれている場所ではメシアの前での悔い改めはなく、

認められることもありませんでした。

もし、既に壊滅、滅亡した地域で同じような奇跡が行われていたとすれば、

とっくに神様への悔い改めがされ、メシアを受け入れたでしょう。

なぜ、イエス様はここまで強くさみしいお話をされたのでしょうか。

そこには、ユダヤ人の神観が正しく認識されていなかったと言えます。

<つづく>