聖書の話し2

   さて、来年の継続で、本日(2018年2月11日)から「使徒の働き」を通して当時のクリスチャン像を考察しようと思います。
特にサウロ、後のパウロの動向を考察することは、「クリスチャン」である事の大きな導きとなります。
そこで使徒の働き9章から始めます。
この箇所は、クリスチャンを迫害するサウロがダマスコの途上突如として強い光を受け倒れます。サウロの証言はイエスを見た。その声を聞いたでした。4、5節
   サウロは以前の様ではありませんでした。20節
「イエスは神の子であると宣べ伝え始めた」
サウロを知る人々もその変化に戸惑うのです。21節
   この変化をどう捉えるべきでしょうか。
   迫害する熱心さが、伝道する熱心に変わった事だけは間違いがないようです。サウロはユダヤ教の律法学者としても評価が高い人でした。イエスに出会うまで、ユダヤ教の教えや律法を学ぶだけでは、イエスが神の子であるとは気付かなかったのでしょうか?
イエスの弟子たちの声に耳を傾けていなかったのでしょうか?
いや、話は聞いていたと思います。理解をしようとは思わなかった。あるいは、今までの教えや学びは、イエスに繋がるものではなかったのかも知れません。
当時の聖書(旧約)から発掘するのは難しく、イエスを知る(福音)を知る事で聖書そのものが分かる(解き明かし)のがサウロを考察して発見できます。
   また、それだけでは身につくことがありません。サウロの変化には「天からの光」が重要だとも思います。これは特別な啓示であって、弟子たちに下った聖霊降臨と同じと考えられます。啓示がなければ、サウロに変化は無かったと考察します。私たちにも言える事は、知恵と知識だけでは変化はない。抽象的に言われている「火」「光」などによる「聖」(ホーリネス)の象徴が大きく作用している事に違いない。この出来事は決して特別なのではなく、昔から多くのクリスチャンが体験し、変化したものとして証がなされ、社会の闇に証(貢献)をしてきました。私たちは社会の仕組みに貢献するのみではなく、御国の貢献者となれるように努めます。その為には「聖」が欠かせないと考察するのです。